新品のティッシュはいつごみになるのか。
服には穴がいっぱいついている。
シールは貼れるからおもしろい。
意味のないことを考える人生は、意味だらけ。
いくつになっても、シールはおもしろいままではないか。その事実を自覚したとき、誰もが気づいていなかった真理に自分だけ気づいてしまったような感覚になり、ひとり倉庫で「ウォーーーー!」と叫びそうになってしまった。倉庫のバイトで、シールを貼っていたのだ。
今も働いているので詳しくは書けないが、とある会社の、とあるものを保管している倉庫でときどきバイトしている。そこで、保管しているブツに番号をつけるため、シールを貼る作業をしていた。ほかにもブツを発送したり、長さを測ったりと作業内容はいろいろあるけれど、その日はひたすらにシールを貼ることが使命だった。パソコンで印刷されたラベルシールを、一枚一枚剥離シートからはがす。ここもまあまあおもしろい。だけど、いちばんおもしろいのは、「貼る」パートである。剥がして、貼る。剥がして貼る。くっつく。粘着面があることで、くっつくのだ。ただ、それだけ。ただそれだけのことが、いくつになってもおもしろい。
以前、SNSで「2歳くらいの子が泣いていたからシールをあげたら喜んでくれた」みたいな投稿を見かけたことがある。つまり、物心つく前から人間にはシールに対する好奇心が備わっていると言える。わたしが鮮明に覚えているのは、小学生の頃の記憶だ。地元から車で20分ほどの距離にある龍ケ崎市のイトーヨーカ堂へ、休日に連れて行ってもらっては、母が2階でウィンドーショッピングをしている間、1階の雑貨屋で食い入るようにシールコーナーのシールを見つめていた。粘着面があることにおもしろさを感じていながら、選ぶ基準となるのは粘着しない方の表の素材で、タイルになっているもの、ふわふわの素材のもの、ラメが入っているものなど、めずらしい素材であればあるほど目を奪われた。筆箱も当時はやたらと関心があったような気がするが(自分の好きなものだけでつくれる最小単位の部屋だと思っていた)、いろんな種類をコンパクトにいっぱい持ち歩けるシールがやはり最強のエンタメだったのだと思う。家へ帰ると、貼って剥がせる台紙がノートになっているシール帳に、買ったばかりのシールを何枚か貼ってはうっとりと眺める。大人になったら、値段に迷わずいっぱいシールを買えるんだろうなあ、と大人の自由さに憧れを抱き、早く大人になりたいということばかり考えていた。
ところがどっこい、大人になっても未だに集めているシールは、たまごシールくらいである。大人になってもたまごシールを集めているとは子どもの頃の自分もびっくりだろうが、歯磨きくらい習慣として馴染んでしまっているので、誰にも止められない。たまごシールとはたまごの上についている賞味期限のシールのことで、前述のシール集めがたまらなくてたのしかった7歳の頃に、ある日冷蔵庫の中のたまごを見て「シールだ!」と気づき、集めはじめたものだ。たまごの殻にぴたっと貼りついているというよりは、「上からふわっと乗せましたよ」という感じでくっついているので、剥がし甲斐がある。そうでなければ、集めていなかったかもしれない。
子ども向けのお菓子である「ビックリマンチョコ」はシールがおまけとしてついていたし、ポケモンパンも同様に貼って剥がせるタイプのシールがついていた。シールはうれしい。それは、子どもだった誰しもが抱いていた感情なのではないかと思う。
では、大人になったわたしたちはシールに飽きてしまったのだろうか。そういえば、わたしが大学生くらいの頃、Apple社の作るノートパソコンのMacに所狭しとステッカーを貼るのが流行っていた。最近は一時期よりも落ち着いたような気がするが、それでもステッカー文化は未だに残っている。たとえばお店へ行って商品を買ったり、飲んだり食べたりすると、ステッカーをもらうことがある。もしくは、商品としてお店のロゴのステッカーが売られている。なにかのグッズが販売されるとき、ステッカーがラインナップに入っていることは少なくない。最近では、パソコンよりスマホにお気に入りのステッカーを貼っている人をよく見かける。
やっぱり、好きなのだ。遊び方が変わっても、貼る場所が変わっても、わたしたちは永遠にシールがたのしくてたまらない。シールをもらえば、うれしい。カードじゃだめなのだ。「くっつく」要素があることに、意味がある。
ここで、ふとある存在を思い出した。忘れてた。マスキングテープだ。マスキングテープは、粘着界ではどちらかというと実用性が高い。手紙に貼ったり、プレゼントを装飾したりと、長さという持ち味を生かして活躍の場を広げている。種類もかなり豊富で、最近ではダイカットされたもの、半透明のもの、ふせんのように短いものなども売られているようだ。かわいい。たしかに、かわいい。わたしも、自分の本を発送するときにはなるべくかわいいマスキングテープを使いたくて、いくつもストックを持っている。……だけど、テープなのだ。マスキングシールではなく、テープ。どんなにかわいくても、マスキングテープはテープであって、シールではない。
シールがおもしろいのは、「くっつく」という一見実用性のありそうな要素がありながらも、実際には実用性がないところなのではないか。くっつくだけ。貼れるだけ。くりかえし貼れるシールが子どもの頃に台頭し、一時期は興味を示したものの、集める対象までにならなかったのは、実用性があってはおもしろくないから、という理由だったのかもしれない。
人間関係だって、そうだ。喧嘩した友だちと簡単にまた肩を寄せ合う仲になんてなれっこない。くりかえしくっついたり離れたりできるわけじゃない。だからこそ、くっつく仲になれるのは、たのしい。大人になれば、より一層その難しさは増していく。子どものときよりも簡単に初対面の人と距離をつめることはできないし、距離感を間違えればどんどんその人との距離は離れていってしまう。大人同士で仲良くなろうとするときこそ、シール交換からはじめるといいのかもしれないなあ、と思ったけれど、もしかしてそれこそ距離感を間違えてる……?
ひらいめぐみ
作家・ライター。2023年5月に『踊るように寝て、眠るように食べる』を刊行。久しぶりにたまごシール帳を見返したら意外と集めてないことに気づいたので、もっとたまごを買おうと思います。
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