社会的マイノリティについて書かれた本をメインに取り扱い、「小さな声を大きく届ける」ことを目指す新刊書店「本屋メガホン」を運営する著者による雑記。本屋を運営しながら考えたこと、自身もマイノリティとして生きる中で感じたことなどを思いつくままに書いていきます。
タバブックスのZINEレーベル「gasi editorial」から、“差別や抑圧、ハラスメントや暴力をできるだけゼロに近づけ、さまざまな属性を持つ人がお互いを尊重し合える空間をつくる試みを紹介”し、“あらゆる空間をより安全にしていくための”ZINE、『セーファースペース』(皆本夏樹+gasi editorial)が発行された。その中の特集「セーファースペースをつくる」において、セーファースペースを目指し/実践する本屋としてアンケートに回答した内容を掲載いただいた。ポリシーを策定したきっかけやその効果についてなど、文字量制限ギリギリまで詰め込んで書いたものの、やはり書ききれなかったことの方が多いので、この場を借りてそれを補足していきたい。
ポリシーを策定したきっかけ
ポリシーを策定するきっかけになったのは、本屋メガホンとしての活動開始当初に出店したZINEの即売会イベントがきっかけだ。こういうイベントにしては珍しくセーファースペースポリシーが明確に決められていて、“差別やハラスメント行為を容認しないこと、他人の属性を決めつけないこと、不快なことが起こったら「嫌だと伝える/その場から離れる/誰かに相談する」ことを原則として行動すること”など、出店者にとっても来場者にとっても安心できる空間づくりがまさに実践されていた。それまでは、なんとなく考え方だけ知っていた「セーファースペース」という概念が、自分がそこに主体的に参画することになって初めてその意味や必要性をきちんと実感できるようになった。
そのイベントでは自分のセクシャリティについてだいぶオープンに書いたZINE『透明人間さよなら』(本屋メガホン/2023)をメインに販売しようと思っていたので、ポリシーが明確に規定されていたことによって、もし不快なことがあったとしても、それを自分一人で抱え込んで対応する必要はない、とはっきり自覚できたのはかなり精神的に安心できた。実際に、別の出店者の方が“出品していたZINEについて来場者から不快な発言を受けたが、ポリシーがあったことで毅然とした対応ができた”という旨のツイートをされていて(自分はその日出店していなかったので現場にはいなかったが)、ポリシーは単なる形而上学的な理論ではなく、空間の質であったりそこにいる人の行動や規範に良い影響をもたらしうる実効性のあるものなのだということを直接/間接的に実感できた機会となった。
緩衝帯としてのセーファースペース
通常の(ポリシーが策定されていない)イベントにおいては、来場者が上にいて出店者/運営者がそれをもてなすという暗黙のヒエラルキーがあるような気がするが、ポリシーの存在はその上下関係を均したり、境界を曖昧にしたりする効果があると思う。来場者も出店者も運営者も等しくハラスメントや差別を受けるべきではないという(当たり前だが大切な)ことをわざわざ明文化して提示することによって、来場者/出店者、買う側/売る側、店主/客といった強い線引きを曖昧にして、属性や肩書きなどからある程度自由になれる緩衝帯のような地点を作り出してくれる。
本屋を始めるまではクローズドなゲイとして生きてきた自分にとって、この緩衝帯こそまさに求めていたもので、“異性愛主義”や“男らしさ”を押し付けられない/属性やアイデンティティを身体的な特徴によって一方的に決めつけられない、エアポケットのような場所がいろんなところにあって、何かあったら逃げ込めるような環境が欲しいと思っていた。セーファースペースはそのような避難所としての側面もあると思うし、そういう空間を求めている人が多いであろうことも容易に想像できたので、本屋メガホンの実店舗をオープンするにあたってポリシーを策定することにした。
「弱さ」を肯定するためのポリシー
本屋メガホンは以下の4点をセーファースペースポリシーとしている。
①多様な属性・背景を持った人々の来店を歓迎すること。
②あらゆる差別やヘイト、ハラスメント行為を容認しないこと。
③弱いままでいられる/つながれる場所であることを目指すこと。
④他人を傷つける可能性に対して常に自覚的であること。
マイノリティ当事者がマイノリティについて書かれた本をメインに取り扱う本屋を、商店街の路面店というかなりオープンな場で運営すること自体を僕は一種の社会運動として捉えているものの、全くビビらずにやれているかというとそうでもない。本連載の第1回でも、本屋メガホンの核にあるのは運営する僕自身の「弱さ」であるということについて書いた。自分のセクシャリティについて書いた文章を自分の手で売ることや、それについて見当違いな解釈を押し付けられたり、不快な思いをしたりすることに対する恐れが全くないわけではないし、そういう場面でヘラヘラせずに毅然とした態度でNOを突きつけられる自分を正直あまり想像できない。
でもそれでいいと思っていて、問題なのはそういう風にできなかった事実を恥ずかしいことだと思い込むこと、自分が間違っていると思ってしまうことであって、NOと言えなかったことでは決してない。説明も弁解もしなくいいしできなくてよくて、当事者が自分の身体やそのあり様について他者に説明を求められることも、当事者が常に矢面に立たされ続けることも、終わりにしたいという思いを込めて「弱いままでいられる場所を目指す」という項目を追加した。そしてそれは、「強さ」や「速さ」を是とし、わかりやすくて大きな声やストーリーだけが取り上げられ/消費され、健常主義やマッチョな価値観を押し付けてくる社会に対する抵抗でもある。弱いままでも連帯はできるし、小さな声でも抵抗はできる。その手法と可能性を探るための場所として本屋は適していると思っていて、セーファースペースとは何か? 誰にとってセーファーか? そのあり様や手法について本腰を入れて考える本屋(や本屋のようなもの)がもっといろんなところに増えるといい。
弱いままでいられる場所を“続ける”ために
実店舗をオープンして半年経過したものの月に数回しか営業していないため、ポリシーがあってよかった!と直接感じたことはまだあまりない。その効果を挙げるとすると、運営する自分自身のメンタルヘルスにかなりいい影響を及ぼしていることだと思う。本連載の第1回で、「弱くて泣き虫な当事者がその弱さを引き受けたまま生き延びられる環境が必要」だと書いた。セーファースペースポリシーは、それをより具体的に構築/継続するために必要な概念であり、「弱さを引き受けたまま生き延びられる」対象には、その場所を運営する僕自身ももちろん含まれている。
実店舗のオープンにあたってポリシーを考えていた時に、「弱いままでいられる場所を目指す」というアイデアを思いついた瞬間、かなり救われたような気持ちがしたことを今でも覚えている。それはこれまで、パートナーのことを友達だと嘘をついてきたことや、自分や他者に対してなされた同性愛嫌悪的な発言をヘラヘラして受け流してきたこと等に対して罪悪感を覚える必要はないという、ある種の開き直りができたことに対する安堵でもあるのかもしれない。今後店舗を運営していくにあたって、別に強い精神性を持ったマッチョな店主にならなくてもいいじゃん、ということに気づけたことが嬉しかった。しんどくなったら休めばいいし、やり方が合わなかったら方法を変えればいい。
セーファースペースの概念は完成がなく常に更新することを前提としており、絶えざる試行錯誤とそのフィードバックを交換し続けることでしか豊かになっていかないものだと思うので、その時々によって形態や手法や場所を変えながらできるだけ長く続けていくことが大切だと思う。そのためには、運営する自分自身が疲弊しないこと、無理をしないことが何よりも重要で、ポリシーの存在そのものが僕にとっては精神的に健康な状態を維持するための役割を果たしてくれているように感じる。
セーファースペース・ジャングル
セーファースペースにはかなり属人的な側面があると思う。例えば、本屋メガホンと本屋lighthouseはセーファースペースを目指すという点では同じ方向を向いてはいるものの、関口さんと僕では考えていることも経験してきたことも違うし、ポリシーに掲げていることも違えば、どういう手法をとるか、という点にもやはりそれぞれの独自性が出てくる。その差異こそ、画一的なマニュアルとしてではなく、その時々によって柔軟に形態や捉え方を変化させていけるような、フレキシブルなセーファースペースに近づけるためのヒントがあると思う。先述したように、セーファースペースには完成がないし、これをやれば100%達成できるという指標もない。いろんな場所でいろんな人がそれぞれ独自のセーファースペースを発展させていき、すっ転んだりでんぐり返ししている様を互いに見せつけ合いながら、試行錯誤を繰り返していくしかない。
冒頭に紹介したZINE『セーファースペース』が貴重なのは、それぞれが実践したり考えたりしていることの差異を概観できることだと思う。セーファースペースをどのように考える/捉えるか、ということもそうだし、それをどのような手法で実践するか、という部分にも、場所や分野や運営主体が違えば自ずと差異が生まれてくる。そしてそれはいい意味で言えば差異だが、単独のセーファースペースだけでは取りこぼされる人もいるかもしれないということと表裏一体でもある。本屋メガホンをセーファーだと感じられない人がいたとしても、別のスペースでは居心地の良さを感じられるかもしれない。一つのスペースができるだけ多くの人を網羅するというやり方ではなく、いろんな選択肢の中から自分に合っていると思える場所をピックアップできた方がいい。セーファースペースという概念を中心として、多様で複雑で重層的な一つの生態系が生まれ、それをセーフティーネットとしてとりこぼされる存在ができるだけ少なくなっていくような、(完成はないとしても)できるだけその網目を細かくしていくような、そういうセーファースペースのあり方/実践の仕方をいろんな人と模索していきたい。
和田拓海(わだ・たくみ)
1997年兵庫県生まれ。2023年より岐阜市にて新刊書店「本屋メガホン」を主宰。
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