社会的マイノリティについて書かれた本をメインに取り扱い、「小さな声を大きく届ける」ことを目指す新刊書店「本屋メガホン」を運営する著者による雑記。本屋を運営しながら考えたこと、自身もマイノリティとして生きる中で感じたことなどを思いつくままに書いていきます。
ゲイに生まれて嫌だなと思う瞬間は、自分が発した言葉で大切な人をこの世からいないことにしてしまう瞬間だ。あえて過激な言葉で表現すると、自分の恋人を自分の手で殺す瞬間だ。同棲しているのに一人暮らしだと嘘をつく時、彼のことをただの友達だと説明する時、僕はこれまでゲイとして生きてきて何回も恋人を殺したし、ゲイである自分自身を殺してきた。言葉で。自分を守るために発した言葉がブーメランみたいに返ってきて結果的に自分を傷つけるという何とも滑稽なループの中で生きてきたと思う。
言葉によって透明にされてきた存在や関係性は、同じく言葉を尽くすことによってしかその透明度を下げることは出来ないのではないかという仮説のもと、これまでの自分の言動によって透明にされてきたものを、自分の手で書くことによって取り返すことを本書では試みたい。(『透明人間さよなら』(本屋メガホン/2023)「はじめに」より)
上記は、本屋メガホンとして2023年1月に刊行した初めてのZINE『透明人間さよなら』の冒頭の部分だ。印刷から裁断、製本まで全て自分で行い、600部を超えたあたりからさすがに手が回らなくなってきて販売停止していたものを、仕様を見直して量産可能な体制を整えることで2024年8月に『透明人間さよなら 新装版』として再度刊行することにした。本文の内容については大幅な変更や追記はないものの、今の自分の感覚と照らし合わせて違和感のある部分については細かな修正を行ったり、思い切って一段落分削除したりした。1年前に自分が書いた文章と改めて向き合ってみて、この初期衝動の塊のようなZINEが自分にとって、あるいは本屋メガホンを始める/続けるにあたって、果たしていた役割の大きさを改めて実感した。今回は、このZINEを再度刊行するにあたって考えた、「パーソナルなことを書き、それをZINEとして綴じること」や「書くこと/読むこと/綴じることを通して「非空間的なセーファースペース」を形成すること」などについて書いてみたい。
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『透明人間さよなら』は冒頭の引用からも分かるように、これまでゲイとして生きる中で感じてきた違和感などについて言語化し、「透明人間」のようにいないものとして扱ってきた自分自身やパートナーについて、「自分の手で書くことによって取り返す」という目的のもと制作されたZINEだ。半透明のトレーシングペーパーに本文を印刷することで、透明な自分自身の身体に文字を刻みつけるような思いをデザインとして可視化できればと考えた。また、半透明の本文の束を目玉クリップで綴じ、ページを並び替えたり追加したりすることが可能な仕様とすることで、ただ読むだけでなく読者にも「自分について書き、綴じる」ことを促すような装丁を目指した。『透明人間さよなら』の旧版(印刷から裁断、製本まで全て自分で手作業で行っていたもの)は、書店へ卸したものも含めて合計680部以上(!)手作業で制作/販売し、想定していたよりもたくさんの方から様々な形で感想をいただいたり、思いがけない出会いがあったり、制作を通して得たフィードバックをもとに別のアウトプットを展開していくきっかけにもなった。
自分のことについて書いてみようと思ったのは、本連載の第1回でも触れた通り、『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』(少年アヤ/双葉社)という本と出会ったことがきっかけだった。ゲイとしての自分自身やパートナーのことを「透明人間」のようにないものとして、二人の関係性や営んできた生活を隠すべきものとして扱うことに疲れ果ててしまっていた時に、そのままならさや痛みを的確すぎるくらい的確に言語化されてしまって、違和感や怒りを見過ごさずにきちんと言葉にすること、それを共有可能なものとしてひらいていくことの重要さを思い知らされたのだった。もっとこういうものが読みたいと思ったし、そのバリエーションはあればあるだけいいと思って自分でもZINEをつくり始めた。
もちろん人によって状況や語りうることは違うので、自分について書いた文章をZINEとしてひらくことができることも一種の特権であるということには自覚的でありたい。ただ、僕にとっては『透明人間さよなら』をつくる過程やZINEそのものの存在は、本屋(という抵抗)を始めるために必要な手続きであり、消耗せずにそれを続けるために必要なセーファースペースでもあったように思う。特に、本屋メガホンの運営を「消耗せずに続ける」ために果たしている役割は大きい。自分自身の違和感や怒りについて安心して語ることができる場所を、まずZINEとして設えることによって、「小さな声を大きく届ける」ための足場を磐石にできているような感じがする。『透明人間さよなら』は、マイノリティとしての自分自身の声を大きく広く届けるための「拡声器」でもあり、同時に他者の小さな声に集中して耳を澄ませるための「集音器」としても機能しているのかもしれない。僕が文章を書いたり、それを綴じてZINEとして販売したりする動機の一つには、「それを手に取った誰かにとって、自分や社会について書いたり表現したりするきっかけになって欲しい」というのがあって、そう思う理由は、「ZINEをつくって売ること」がメンタルヘルスに与える影響や、社会運動を継続して行うためのモチベーションに与える効果を、文字通り「体感」できていることが背景としてあるからだと思う。
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『透明人間さよなら』をつくることで得た最も大きな発見は、セーファースペースは必ずしも空間や場としてある必要はなく、書いたり/読んだり/綴じたりすることでも形成されうるものである、ということだと思う。より安全な「スペース」は必ずしも物理的な空間だけに依拠せずとも、例えば自分と近しい属性や境遇にある人が書いたテキストを読むことでも、それに触発されて自分や社会について書くことでも、そうやって書かれた文章を他者に共有可能なものとして綴じることでも、それらは全てより安全な「スペース」として機能しうる。
『透明人間さよなら』はまさに、そうやって読み/書き/綴じることで制作されたものだが、最初からセーファースペースをつくるぞ!と意気込んで制作し始めたわけではもちろんない。先述したように、『ぼくをくるむ〜』を読んで、自分と似たような抑圧や怒りを抱えた人による個人的な語りにもっと触れたいという思いが強くなり、まずは自分がそれを書いてひらくことで、それを読んだ人が何らかの形で自分について語りだすきっかけになればと思った。今振り返って考えると、当時誰にも相談できなかった思いや違和感について洗いざらい書き、それを綴じていろんな場所や媒体で販売することによって、自分にとって安全だと思える範囲を、大きな面としてではなく小さな点をつなぐように拡張していきたかったのかもしれない。実際に、ZINEを読んだ感想を対面やオンライン上でもらって、自分が蒔いた種が見知らぬ誰かの/何かのきっかけになったことを思いがけず知る度に、お互いのことをよく知らなくても、文章や表現を通して安心できる感覚を共有したり、抵抗のための灯火を分け合ったりすることは可能なのだ、ということを実感する。効果がすぐには現れにくく、一定の成果が上がったとしてもそれを数値としては測りにくい、遅効性と抽象度の高い本屋という営みにおいて、そういった実感を持てることはとても心強く思う。
空間や場として形成されるものを「空間的なセーファースペース」、書く/読む/綴じるなど行為として発生するものや物質として形作られるものを「非空間的なセーファースペース」として切り分けて考えてみると、前者は居場所や人のつながりを面的に作りやすいのに対して、後者は物理的な距離の近さやコミュニケーションを必ずしも必要としない、柔軟で奥行きのあるネットワークを線として編みやすいと思う。特に情報資源が乏しく、「空間的なセーファースペース」へ頻繁にはアクセスしにくい地方都市(自分の場合は岐阜市)に住んでいると、遠くの誰かと抵抗や連帯のためのささやかなきっかけを送り合うような「非空間的なセーファースペース」の重要さを痛感することが多い。『透明人間さよなら』が実際にどのくらいのきっかけや転換点を生み出したのか定量的に測ることはできないが、少なくとも僕にとってそうだったように、他の誰かにとっても安全を感じられる居場所としてあれたらとても嬉しいし、そう感じられるものを今後もつくっていきたい。
セーファースペースをつくる取り組みが、できるだけ多くの人が安全だと感じられる場所をつくる営みなのだとすると、その手法や捉え方もまたできるだけ多様であるべきだと思う。あらゆる存在が権力によって公然と軽視され、差別や暴力にさらされている今、ある意味ではそれに対する最も直接的な抵抗として、セーファースペースが持つ意味や範囲、機能を拡張し変化させていく語りや実践が必要だ。空間として形成されるもの、読んだり書いたりすることを繰り返しながら編み出され精錬されていくもの、ポケットやポーチの中でお守りのように小さな光を放つもの、祈りとしてゆっくり遠くまで時間をかけて届くもの。画一的なマニュアルとして機能する規範としてのセーファースペースではなく、属人的で流動的で間違いや失敗をする余白があらかじめ包摂された実践としてのセーファースペースを、様々な場所や形態やメディアにおいて模索していきたい。
和田拓海(わだ・たくみ)
1997年兵庫県生まれ。2023年より岐阜市にて新刊書店「本屋メガホン」を主宰。
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