社会の当たり前が自分と相入れない時、いつも、世界とはぐれてしまった気分になる。どうして馴染めないんだろう。一人違う場所に迷いこんでしまったみたいに心許ない。そんな時に寄り添ってくれたのが、自分とは異なる形で世界とはぐれた人が出てくる本や映画だった。そんな作品と一緒に社会の規範について考え、抵抗していくエッセイ。
仕事から帰ってポストを開けたら、知らない人から結婚式開催のお知らせの手紙が入っていた。こんな名字の知り合いはいなかったはずだけど、と急いで封を開けると、招待状の真ん中あたりに名前が記されていた。
島田 裕也
はるか(古河はるか)
送ってきたのは、大学時代サークルで仲が良かった古河ちゃんだった。古河ちゃんとは大学一年生の頃に出会い、卒業後はお互い同業他社への就職が決まった。最初の配属先が偶然同じ名古屋になったこともあり、ずっとよく会って遊ぶ仲だった。話したいことがいつもたまっている古河ちゃんは、会ってすぐにひとしきり話した後「あーまたうちばっかり話しすぎてる! ごめん! でも銀の森ちゃんに話したいことたまりすぎてて! だからやめません!」といつも楽しそうに笑った。家でわたしがつくったご飯を食べながら、カフェで紅茶を飲みながら、焼き肉屋で肉を次々に焼きながらたくさん古河ちゃんと話した。仕事のことから、全然働いてくれない古河ちゃんの直属の上司の話、共通の知り合いの近況、最近面白かったアニメから政治の話まで話題がぽんぽんと移り変わっていく。小さな身体のどこにそんなエネルギーがあるのだろうと思うくらい楽しそうに話す古河ちゃんを見ていると、わたしも古河ちゃんになって世界を見てみたいと思う。相手の目になって考えてみるとき、わたしの中の湖は少し広く、深くなっていく。口数がそんなに多くないわたしにとって、古河ちゃんと遊ぶのはいつも発見があって楽しかった。
招待状をじっと眺める。結婚する相手の名前の下に古河ちゃんの下の名前、そしてかっこ書きで旧姓が記されているのを見て、古河ちゃんがかっこの中に無理やり押し込まれているような感覚がした。
就職して半年くらいたった時期に古河ちゃんはふと「いつか、自分の名前で本を出すことが夢なんだ」と言った。彼女は大学卒業前、全国区の通信社か地元の新聞社かどちらに就職するか悩んだ末、広い場所で活躍したいからと前者を選んだ。新聞と違って通信社の記事は、取材者の名前が記されない。だからその夢は古河ちゃんにとって、仕事をしていく中で必然的にうまれたものだったのだと思う。
20代半ばごろから、友人たちから結婚の報告がたくさん届くようになった。同性の友人たちはみな、結婚すると夫側の名字になっていった。そのことがすごく、さびしかった。本人たちがどのような思いで夫側の名字になったのか聞いていないのでわたしがとやかく言うことではないし、名字が変わったからといって中身が変わるわけではないけれども、彼女たちの名字はわたしにとって大事な一部だった。妻側の名字に変えた男性の友人は自分の周りにはいなかったので、なおさらその不均衡を思った。しょうがないけど、さびしい。選択的夫婦別姓の制度がすでに実現していたらどうなっていただろうかと想像して、やっぱりこんなのおかしい、しょうがないですませたくない、と思った。選択肢がなくて強制的に同姓になるのと、選択する権利があるうえでどちらかを選ぶのはまったく違う。この招待状を受け取っているだろう、古河ちゃんと3人で仲が良かったみっちゃんのことを思った。みっちゃんはこの招待状を見て何を思っただろうか。
「夫がね、友達少ないんよ。だからうちがたくさんゲスト呼んじゃうと頭数合わせられないからって、呼ぶ人かなり絞んないといけないんだ」
「え、そうなの? 何人くらい呼べるの?」
「15人くらいになっちゃうかなあ……結婚式に呼んでくれた人も全然招待できないからもどかしい」
古河ちゃんから結婚の報告を受けたときにこんな会話を交わした。あのときわたしたちは岐阜の居酒屋にいて、こじゃれた吹き抜けになっている中庭を背景に話す古河ちゃんを見ながら、見た目はお互い学生時代とほとんど変わらないのに、出会ってから10年もたって話す内容はずいぶん変わってきたんだなと、唐揚げをほおばりながら感慨にふけった。
「古河ちゃんは友達多いから、なんか意外だわ。お相手はそういう感じなのね」
もともと交友関係が広い上、記者になってからはさらに広がり、式に呼びたい人が100人は超えてもおかしくない古河ちゃんを思うとそれは少なすぎる人数だった。
「まあ、そういうところも好きなんだけどね。本当に仲いい人としか続かないというか、そういう感じみたい」
古河ちゃんの夫になる人は写真でしか見たことがなくて、ふーん、そんな感じなんだと思ったけれども、ちょっとひねくれものでいつもサークルのはじっこに固まって話をしていたわたしやみっちゃんと仲が良かった学生時代の古河ちゃんを思うと、それもまたわかる気がした。
結婚式に呼ばれるたびに、必ず新郎の名前から記されている招待状や、なぜか未婚女性だけが呼ばれるブーケトス(わたしは非婚主義者なので、受け取った人は次の花嫁になると言われているブーケが飛んできてもどんな顔をすればいいかわからない)、否が応でも感じてしまう異性愛規範など、そこかしこに根付いている家父長制的な部分にもやもやを感じてきたから、ああ、また出るのかあ、憂鬱だなあと思いつつ、少ない招待客の中にわざわざ自分を選んでくれたわけで、まさか断るという選択肢はなかった。
「ごめん、わたし、結婚式には出られない」(p.154)
友人たちにこう宣言するのは、高瀬隼子の「末永い幸せ」(『いい子のあくび』集英社)の主人公、奏だ。幼馴染の三人が集まった場でりっちゃんから結婚の報告を受けた奏は、友人を祝福したいという気持ちはありながらも、式に出ないことを選択する。
「二十代後半で結婚式ラッシュがあって、散々出て、でも毎回こんなのやっぱり変だし嫌いだって思って、もう二度と参加しないって決めたの。参加しても、結婚式のせいで心からおめでとうって思えなくなるから。その子たちのことは好きで、友だちの幸せは願いたいって、思うけど」(p.158)
いわゆる結婚ラッシュで何度も結婚式に出席しながら、新婦が父親とバージンロードを歩き新郎に引き渡される様子に「新婦、物みたいだなあ」と思ったり、新婦が新郎にケーキを食べさせるファーストバイトでの「一生おいしいごはんを作るからね、という新婦からの誓いと、食うのには困らせないからな、という新郎の誓いが込められています」という式場スタッフの説明に「なにそれまじで気持ち悪いっ」と慄いたり、両親への感謝をなぜか新婦だけが読むその意味合いを「女性は生家から出され、夫の家にもらわれるので、夫側から見ると『別に今親にありがとうと言わなくてもいいでしょ、これからもおれはおれの家にいるんだし』となるのだ!」と考え「じんしんばいばい」だと衝撃を受けたり、結婚式でのもやもやがこれまでかというくらい言語化されていく。(p.156-157)
わたしも何度か友人たちの結婚式に出ながら、そういう違和感を覚えてきた。友人を思いっきり祝福したいのに、参加しながら「あれ?」と思考が別の場所にいってしまう。家制度をベースとした価値観がいろんなところに根深く巣食っているのを目の前にして、拒否感が泥のように自分の中に流れ込んで水が濁っていき、やがて底に沈殿していく。
でも、その泥をきちんと手で掬い取って、違和感の意味を考えることから逃げてきた。
その日の主人公である新郎新婦を否定してしまうことが、こわかったから。楽しいはずである式の雰囲気から外れている自分を自覚してしまうことが、おそろしかったから。幸せが約束された空間で悶々としている自分が、異物のように思えた。わたしは薄い氷の上を歩くように違和感を見て見ぬふりをしながら、新郎新婦にスマホを向け一生懸命写真を撮る大勢の中の一人を演じてきた。わたしができる抵抗といえば、男尊女卑的な考えがにじむ司会の人の言葉に眉を顰めることだけだった。
だから結婚式での違和感を一つひとつ解体し、直球にたたみかけていく奏がすごいと思った。見ないように冷凍保存してきた違和感を取り出され、トンカチでたたいて粉々にされ、凝視しろと言われた気がした。
結婚式当日、わたしは新幹線静岡駅のホームで一人焦っていた。岐阜でシカが線路に侵入し新幹線が止まっているという放送が流れ続けていた。結婚式への違和感をつらつらと考えていたくせに、いざ出られないかもとなるとこんなに焦るものなんだなと、何度見ても変わらない運行情報を苛立ちながら見つめる。やっと最寄りの大宮駅に着いた時には時間ギリギリで、就活以来ほとんど履かなくなっていたヒールで会場まで全速力で走り、かかとに擦り傷ができた。
息を切らせながら受付に到着すると、わたしの到着を待っていたらしい係の人が急いでチャペルに案内してくれる。みっちゃんの隣に座ると、こっちを見て「大変だったね」と口を動かす。すぐに式が始まり、新郎の裕也さんが入ってきて、そのあと古河ちゃんがお父さんと一緒に入ってくる。目が細すぎてコンタクトが入らないと話していた古河ちゃんのトレードマークである眼鏡をかけて目を線にしながら笑う様子は、式の荘厳さにも緊張していないように見える、ウェディングドレスを着たいつもの古河ちゃんだった。そのあとに車椅子に乗った古河ちゃんのお母さんと、新郎側のご両親も入場する。
母子家庭で育ったわたしはいつも結婚式に出るたびに、両家どちらもご両親がそろっているかどうかを確認してしまう。そして当たり前のようにそろって席に座るのを見て、幸せの形ってこうやって繰り返されていくのかなということを考える。いや、両親そろっていることが家族の幸せの形なんて、もう思ってもいないくせに、そうやってひねくれてみせる。あ、今日もそろってる。そうだよね、今回も、そっか。そんなふうに勝手に心の中で呟いてから、また現実世界に戻ってくる。毎回、儀式のように。でも、古河ちゃんが結婚式をやろうと思った大きな理由は、少し前に病気で倒れたお母さんに見せたかったからだと話していたことを思い出す。どの家にも、事情がある。見た目だけで勝手に評価するのは傲慢なことだなと思いながら、古河ちゃんの両親の背中を見つめる。
式はスタッフの司会のもと順調に進んでいく。誓いの言葉を前に会場が静まり返る。二人が向き合ったとき、古河ちゃんがこらえるようにふっと笑いをこぼし、会場内のマイクがその音を拾った。隣に座っていたみっちゃんと顔を見合わせる。会場のあちこちに控えるスタッフさんたちが一斉に顔をそちらに向けたのにわたしまで少し笑ってしまいそうになるが、すぐに何ごともなかったように滞りなく式は進んでいく。二人が誓いを交わし、会場が拍手に包まれた。
「末長い幸せ」で式に行かないことにした奏は、それでもりっちゃんの姿を見ようと、内緒で式場が見えるホテルに予約を取る。式場から披露宴会場に向かうには外に出る必要があるため、ホテルの窓からその姿が見えるというのだ(その手があったか!と思わず手を打ったわたしは完全に奏の思考になっていた)。
お幸せに、お幸せに。ゲストたちの唇が同じ形に動きながら祝福し、色とりどりの花びらがまかれる中を歩くウェディングドレス姿のりっちゃんの姿を、拍手の音も届かない静かな9階の部屋で一人見つめる。「しらないひとみたい」奏はそうつぶやく。もし“偽チャペル”にいたら綺麗だねと言っただろうけど、その場にいない奏はそうしない。相手に気づいてほしいと少し思っているくせに、いざりっちゃんがこちらを見上げると、ここにいることがバレるかもと動きを止める。気づかれたくない、気づかれたい。幸福を願っている自分を知ってほしい。相反する感情に翻弄される奏の姿に「式には出られない」と友人たちの前で言った潔い奏ではない姿が垣間見えて、視点がぐっと自分の側に近づいてくる。家制度が根付く結婚式への抵抗と、友人を祝いたいという思いを両立させる行動は自分にはたぶん一生できなくて、「あの時もし断ったら」という世界を奏が代わりにやってくれたような気がした。
家父長制的な思考が根付いている結婚式の儀式一つひとつに違和感を抱き、楽しい場で疎外感を覚えてしまう、それも結婚式に出たくないと思う一つの大きな理由だった。でもそれは、利益を追求しいまだに差別的構造を再生産するブライダル業界や、男性優位を温存し続ける社会そのものが原因で、批判すべきは結婚式を開いた友人でも違和感を覚えて居心地が悪くなってしまう自分でもなく、もっともっと大きな社会構造のはずだ。
奏の批判的精神を自分の内に求めてみる。自分の中にたまった澱をふるいにかけて、残ったものを見つめてみる。わたしが結婚式でつらかったのは、今まで社会への違和感を同志みたいにたくさん話してきた友人たちが、結婚式のコードに組み込まれ家父長制の儀式を再生産しているのを見てしまうことだったのかもしれない。逃れられない社会の価値観の中に自分たちが組み込まれていることを、実感せざるをえないから。友人が、自分を置いて別の場所に行ってしまうことがこわい。くだらないことに笑って、許せないことには怒りながら、ずっと一緒に遊んでいたかったのに。
披露宴前の待機時間、後日新郎新婦に送るというサプライズメッセージを古河ちゃんの幼馴染が撮影して回っていた。みっちゃんと近況を話しながら、その順番を待つ。みっちゃんもわたしもこういうのは苦手で、「何話す?」「とりあえずおめでとうでしょ? あと、なんだろ、どうする?」と相談しているとすぐに順番が回ってきてしまう。
「せーのでおめでとうって言おう」
みっちゃんにそう言ったときに、あ、とあることを思い出す。
「古河ちゃんおめでとう、で、いい……よね?」ためらないながらそう聞くとみっちゃんは、
「当たり前でしょ、古河ちゃんは古河ちゃんだから。はるかさんなんて呼んだことないし」
じゃあ撮りますねーと、カメラのレックボタンが回る。一緒におめでとうを言った後、それぞれ古河ちゃんに伝えたいことを話した。
披露宴では名前のわからないおしゃれなフレンチ料理が次々と出てきて、みっちゃんがロースクールをまもなく卒業し来年から法律事務所でインターンを始めることや、1週間後わたしが韓国に初めて旅行する話をしたりした。
やがて新郎新婦が各テーブルを回る時間になり、古河ちゃんがわたしたちのテーブルに来た。待ってましたというようにみっちゃんが古河ちゃんに聞く。
「古河ちゃん、式の時笑ったでしょ。なんで笑ったの? 全然緊張してないんだなって面白くなっちゃった」
「あ、そうそう!」古河ちゃんがうれしそうに話す。「マイクがめっちゃ音拾っててビビったわー。裕くん……夫のシャツの襟のところに虫がタイミングよく止まって、あの状況で取ってあげるわけにもいかないし、夫は気づいてるっぽかったけど固まってるし、もう面白くてさ」
「えーっ! こんな都心のホテルの、しかも12階なのにどこから入ってきたんだろうね」とみんなで笑う。「そういえば3人で映ってる写真ってあれしかなかったの?」「見返したんだけど、うちら3人で遊ぶとき誰かが撮る係になっちゃってたから、もう全然なかったんだよ」「あれ、銀の森ちゃんのピースの角度なんか変だったね」「てか今日岐阜で線路にシカが侵入したんだって? 焦ったでしょ」「ついたのマジでぎりぎりだったよ。間に合わないかと思った」「遠くからほんとにありがとね。シカの侵入はあるあるなんだよね。岐阜にいたとき鉄道情報の短報さんざん書かされたわ」
結婚式でも古河ちゃんはちゃんとわたしたちが知っている古河ちゃんのままで、違うのは古河ちゃんがウェディングドレスを着ていることと、夫の裕也さんが隣で嬉しそうに会話を聞いていることと、話す場所が結婚式の披露宴だから話せる時間に制限があることだけで、そこにある空気はサークルの帰りに3人で美味しいご飯が食べられるカフェに行って、食後は違うケーキを一人ひとつ頼んでシェアしあったときと同じだった。
結婚と出産を望んでいないわたしは、ライフステージが変わっていく友人たちと話が合わなくなったり、会う時間が取れなくなったりしていつのまにか距離が離れてしまうのではないかという恐怖をずっと抱えている。女性として初めて弁護士・判事になった三淵嘉子をモデルにしたNHKの連続テレビ小説「虎に翼」の93話で、妊娠を黙っていた主人公の寅子に対し友人のよねは「お前には男に守ってもらう、そっちの道がお似合いだよ」と突き放す。学生時代から同志として法律の道を歩んできた二人が、こんなことで別れてはいけないと悔しくなった。でも、よねにとっても寅子にとっても「こんなこと」ではなかった。よねは社会規範に徹底的に抵抗しながら生きていて、環境のせいで法律の夢をあきらめざるをえなかった同級生の分まで頑張ると言っていた寅子が、当時普通とされた女性のライフコースに収まっていくことが許せなかったのかもしれない。でも一方で、寅子の苦しみもよくわかる。結婚・妊娠したら母としての務めを果たさなければならないという、当時「当たり前」だった社会の価値観に抗う方法なんてあっただろうか。「女性弁護士」という肩書のせいで仕事がもらえず、社会的地位を得るために結婚したはずだった寅子は「じゃあ、わたしはどうすればよかったの」と答えることしかできない。社会がもっと違ったら、女性が生きていくための選択肢がもっとたくさんあれば、こんなふうに別れなくてもよかったはずなのに。わたしたちはそうなりたくない、いや、させない。たくさんの先輩たちのおかげで、時代は変わったはずだから。
式から半年ほどたった今でも古河ちゃんのLINEの名前は「古河」で、わたしはそのことに勝手にうれしくなって、ことしも誕生日には「古河ちゃん誕生日おめでとう」と送り、昔と変わらずたまに会ってご飯を食べながら、どうでもいいことも社会のどうでもよくない、絶対に変えたいこともいっぱい話す。奏みたいな大胆な抵抗ができないわたしができることはきっと、友人たちの幸せを祝福しつつ、人生のライフステージがこれから先変わったとしても、今までと変わらない関係を続けていくことなんだと思う。
披露宴が終わり、ゲストたちを見送る古河ちゃんはわたしたちに、「またご飯行こうね!」と手を振った。そういえば卒業後は3人では行けてないなと思い出す。そうだね、絶対に行こう。そう答えてみっちゃんとわたしも手を振る。お幸せに、お幸せに。「末長い幸せ」では呪文のように無機質に響いたこの言葉を、わたしたち3人のもとに手繰り寄せてみる。みんな歳をとるし、生活の中心もきっと絶えず変わっていくけれど、3人ずっと離れないでいよう。たまには集まって遊ぼう。昔みたいにカラオケでなつかしい曲を歌ったり、大学の近くにあった卓球場で無心で球を追いかけたりしよう。お幸せに。わたしたち、これからも変わらず、おしあわせに。
銀の森(ぎんのもり)
1995年生まれ、静岡県在住の会社員。自主制作ZINE『28歳、抵抗の自由研究』を発行。
*こちらの連載は「web灯台より」にて読むことも可能です。
*投げ銭していただけると執筆者と編集人に「あそぶかね」が入ります٩( ᐛ )و