こんにちは、久しぶりにならないようにまたエッセイを書いています。果たしてこのエッセイを楽しみにしている方がおられるか不明ですが、私はいつも楽しく書いています。ひきこもりが頑張っているなあと某クローズアップ現代の気持ちで読んでくださっても味わい深いと思います。
今回は本屋と本について話したいなと思います。私が本オタクであること、また本屋巡りが大好きであることを文章がはちゃめちゃになろうともパッションで伝えます。ついて来てくださったら幸いです。
本屋、本と紙文化、と私1
ここ数年独立系書店が増えている、その一方で本屋がない都市もまた増えている。私はZINE作家でもあり、紙の本が大好きでZINEも紙でしか制作していない。本屋の何がいいかまず一通り話してもいいだろうか。
まず本屋は膨大な本が、買える状態で置いてある。本棚を見るとその店がどういう文脈で本を配置しているかが分かる。後者の本棚の件は大型書店よりも個人の独立系書店のほうが顕著であり、正直2時間は見ていたいくらい楽しい。独立系書店は店主さんの思想や意思、得意分野、好きなジャンルが明確にお店と本棚で表現されている。ある意味お店自体が作品なのだ。ゆえに本屋の数だけ作品がある。これは心がうきうきせずにはいられない。
お世話になりすぎている本屋lighthouse(様)の本棚も定期的に見に行かなければいけないほど楽しい。チェックできていなかったおもしろい本があり、またヘイト本を扱っている可能性が大型店より低いため少し安堵しながら本棚をじっくり見て回れる(ヘイト本を全て見極めるのは難しいため、うっかり関口さんがヘイト本持ってたら指摘してあげましょう、我々お客も本屋を守りたい!)。
大型書店だと配本システムでどうしてもヘイト本が混ざる可能性が高く、しかもうっかり平積みにされている場合があり心が萎んでしまう。唯一の長所は商品券が使えるところだ(無一文商会は商品券で本をたくさん買っている)。
そして独立系書店はZINEやリトルプレスを取り扱っている可能性が高く、それを目当てに行くこともある。大型書店では味わえない醍醐味のひとつ。また大型書店では輝いていなかった本が独立書店の棚作りによって初めて輝くこともある。独立系書店の魅力はこのエッセイを読んでいる諸君らには十分伝わっているはずだが、一応記載しておく。私は全国の独立系書店に己のZINEを置きたい、取り扱ってもらいたいと思っているため、日夜本屋さん探しをしている。ひきこもりで無一文でなければ全国を飛び回って本屋さんを訪ねるのだが、ひきこもりのためじわじわと本屋さんへ伺っている。地道な活動。でも本棚を見て、そこで本を買い、店主さんと話せる時間は私にとって最高で楽しい時間だ。
まだ本屋について語りたいことはあるが、本についても話したい。
本は最近、部屋を圧迫する、またはミニマリストの流行?からか、いつからか電子書籍の台頭が著しい。電子書籍のメリットももちろんある。拡大して読むことができるし、場所を取らない。物理的に重たい本でも電子書籍なら筋力が弱くなっても持って読める。何冊も持ち運べる。実に魅力的だ。
それでも紙の手触りが好きで、めくる感覚が好きで紙の本にこだわっている。紙の本、実物があることで私は所有欲も満たされている。半分蒐集家でもある。ゆえに己のZINEも紙にこだわっている。いつか紙の本が持てない方や視覚に障害がある方のためにもZINEを作りたいが、そのときは薄い紙で私の朗読付きにしてしまおうと思っている。表現は自由で、読み手をなるべく増やしたいと思っている。紙の本文化が廃れてなくなってしまわないようにも活動し続ける予定である。そのひぐらし商会は多くの本に囲まれ、その本たちに救われて生きている。
ずっと暑苦しく本屋、紙の本について語ってしまいました。私は本オタクなのでご了承ください。本は並んでいるのをみるだけでもいいし、所有しいつでも気分に合った本を部屋から選び出せるという点で私は所有することにしています。きっと生きているあいだに読み切ることはないけれど、それでいいと思っています。積読は次世代へのバトンでもあります。そして表現としての本屋がこれからも増えていくように、無一文ながら少しずつ買い支えたいです。一番は私が有名作家になってZINEを扱ってくれているお店さんが爆売れすることなのですが、そこは気長に読者の皆様よろしくお願いします。では寒暖差で服装が毎日迷走しているかと思われますが、パジャマを着てもこもこしつつ布団に入ります。
RIKO そのひぐらし商会
Twitter:@Handtomouth_Co
Instagram:@r_roroyyr
本屋lighthouseウェブストアそのひぐらし商会コーナーはこちらです
*こちらの連載は「web灯台より」にて読むことも可能です。
*最新号は誰でも閲覧可能、過去号はこのニュースレターを有料購読している場合のみ閲覧できます。
*投げ銭していただけると執筆者と編集人に「あそぶかね」が入ります٩( ᐛ )و
1992年にリリースされた平松愛理氏の8枚目のシングル曲「部屋とYシャツと私」を想起させるタイトルだが、この曲は結婚によって「変わる」ものをタイトルにしている。時代だったんだと言われたらぐぅ!の音も出ないが、変わるのは部屋だけでいいだろ!が私の感想だ。Yシャツは着てる本人がクリーニングに出すか洗えばいいし、私(≒苗字)がなんで当たり前に変わる前提なんだ!女性側が結婚によって変わらざるを得ないことがありすぎ!選択的夫婦別姓もまーーーだ選べない世の中に右ストレートぶちかます。