4月14日(月)
日記をnotionからsubstackにコピペして配信。最近はReadsで書いたことを日記にも取りこんでいるため、昨日なにしてたかわからなくなってもとりあえず読書記録を参照することでなにか書けるし、コピペという動作および作業をすることによって記憶が芋蔓式に戻ってくる感じもある。
午前中にほぼ寝ながら本を読んで、キャッチボールをして、午後もほぼ寝ながら本を読んで、寝てた。起きたら夜。Readsアプリによると、ジョゼフ・コーネルの本の第4章を読み、
コーネルが初の展覧会に参加するも、主催者の紹介文が本質を見誤った陳腐なもので、長年その印象がつきまとってしまったことなどが書かれている。これもまたナラティヴ。そして本屋としても、適切におそれなくてはならないエピソードだ。
と書いている。いつもどおりエニタイムに行き、ひろこさん待ちの時間でプルースト。
それゆえ著述家としてのスワンが研究成果を発表するとき、手紙や会話にはふんだんに認められる本人の特徴がそのままのすがたで現れないのを残念がった。オデットは書くものにもそうした特徴をもっと発揮するよう勧めた。そう願ったのは、スワンのなかでオデットが好んだのがそれらの特徴だからである。(p.104)
たぶん卒論とかも同じで、どうしても「卒論」としてあるべき内容とか文体とかを意識してしまうけども、ほんとうはもっと自分勝手に書いていいのだと思う。そのほうが絶対におもしろく書けるし、中身も質の高いものになる。
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