こちらは本屋lighthouse出版部にて鋭意製作中の、丹渡実夢『『プルーストを読む生活』を読む生活(仮)』試し読みページです。冒頭=要約と、本文の1月〜2月部分が読めます。
刊行は夏から秋あたりを目標にしています。
2024.1.15(1-p.117)
年が明けて新品のほぼ日手帳をひらく。小中学生のころ、ノートを新しくするたびにちょっと文字の格好が整うあの感じ、とめ・はね・はらいをペン先が意識してしまうあの感じを指でおぼえながら、トモエリバーに刻みつけるように日記を書く。そんな調子で気合の入った新年五日間くらいはぎっしりと日記を書いていたのだけれど、そこから体調を崩してしまってしばらく日ごと一ページの白紙をめくるばかりだった。そうこうしているうちに一月も半分が過ぎ、日記に対する新年特有の緊張感もすっかり失われてしまったようで、十二月中旬並みに気のゆるんだ文字を書いている。十ページほどの白紙をめくってみるとこの約二週間のことをうまく思い出せないような気がしてきて、ぽっかりと時間に空白が落とされていた。わたしはいったい何をして、なにを考えていたのだろうと記憶を辿っているこの時間こそ「失われた時を求めて」いるみたいだとか適当なことを言ってみたくもなった。
2024.1.18(1-p.140)
毎週の通院から帰ってきたとたんに発熱したので再び日記は白くなっていた。二〇二四年は『プルーストを読む生活』とプルーストを毎日読んで日記を書くという自分で定めたルールは、書きはじめの時点で一度破られ、昨日一昨日で二度目の違反だ。ルールというと、いつだか母が「ルールなんてつくらずに自由に生きたいの」と言っていたことを思いだす。わたしはなにかとマイルールをつくってはそれを守ることを第一に生活するのを好み、守れなかったときにはいらいらをつのらせる。逆にいえばルールやルーティンがないとなにをしたらいいのかわからなくなるから、ルールはわたしにとっては生活の柱だった。とはいえすでにプルーストの約束は破られてしまった。逆にいえばすでに崩されたルールのなかであるからこそのびやかに書けるのかもしれない、この数日はそういう厳格さをにじませるフィールドづくりであったと思いこめば、喉もとにせり上がってくる後悔と自責も飲みくだせるようだった。
2024.1.19(1-p.169)
熱が出たり下がったりをくり返しているせいで、平熱のときの感覚がわからなくなってきた。首すじの血管が沸騰していると思って熱を測ると35度4分で、頭が痛くなってきた代わりに熱っぽさがひいたと思えば36度5分。何度も体温計を脇に挟みすぎたせいか、体温の感覚が崩壊しきっている。具合の悪さをあけっぴろげにして心配してもらうと申しわけなく感じるけれども、大したものではないでしょうと軽くあしらわれると傷つく。微熱が面倒くさい性格に拍車をかけていた。
2024.1.20(1-p.185)
店長が、人生はどうにかなるし決断は急がないほうがいい、と言っていた。お金を稼ぐ方法ならいくらでもある、とも。人生と並走する時間が、無限に分岐する線として想像される。ふさぎ込んでしまったときなどはそういう線としての時間は失われ、惨憺としたいまが点として在るだけになって、どうしようもなさと無力感とが感覚を乗っとる。未来や過去がおり込まれた線状のいまを感じられるだけの安寧な精神を現段階までのプルーストには感じていて、わたしにはその精神が足りていないような気がしている。
2024.1.21(1-p.205)
雨に濡れた前髪もそのままに、すこしだけと思っていた昼寝が二時間にも渡ってしまった。夢を見たというわけではないけれど、眠りが魔術的に深かったせいで起きた瞬間めまいにおそわれ、ここがどこなのか・いまが何時なのかわからなかったほどだった。夜にこれだけふかく眠ることはけっしてないのに、昼だと底なしの沼に落ちたかのように眠ってしまう。お昼の布団には魔物が住んでいる。
2024.1.22(1-p.221)
『物語とトラウマ』読書会に向けてレジュメをつくる。多和田葉子の『献灯使』を論じた第六章を読む。数年前に一度読んでいらいひらいていなかったから、昨日一日の生活ですら忘れてしまうわたしの記憶からはあぶれてしまっているのではないかと思っていたけれど、論考を読みはじめるとすぐに、身体のよわい無名がのろのろと着替えをする姿がよみがえってきた。たしか体力を持て余した義郎は無駄とも思える散歩をくり返していた。彼らはまるで別人類だった。
現在の言語は、その差異をないものとして、同じ「類」として人びとを位置づけようとする。いったん、私たちは、まったく違う生を生きていると認めてはどうだろうか。だから、互いを尊重できると考えてみてはどうだろうか。義郎と無名が学んでゆくのは、「類」のなかの差異を明確化するような言語の働きだ。「多様性」という神話が、ときに、わかりやすい他者の物語を必要とするのに対して、義郎と無名はわからなさを大事にする。ただし、義郎のなかで、わからなさは苛立ちや葛藤としてもあらわれ、悲しみをおぼえることもある。しかし、義郎が悲観的になりそうになったとき、無名の新しい感性は希望を与えてくれる。
――岩川ありさ『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)p.191-192
おなじ人間なのだから差別はしてはいけないという論理はもちろん間違いではないし、それによって無感情ののっぺらぼうに見えていた相手にも自分とおなじ赤い血がかよっていると理解できて、言動を変えられるのならもちろんそれはすばらしいことだと思う。けれどもおなじ人間なのだからおなじ感じかたをするだろうという前提に立って、自分がされて/言われていやなことはしない/言わないとすると、自分はなんとも思わないけれど他人には傷をつけてしまうことばがあることを無視してしまうことになる。褒められたり善意ゆえの心配をしてもらっているというのに、意味もわからず傷ついて、けれど厚意を無碍にはできないからと自分のなかだけで燻らせてきたいくつかの記憶がこの文章によってすくい上げられたような気がした。おなじ人間であり、ちがう人間であるわたしたちの差異をわかろうとしながら、わからないことを認める、不安定なこの一文の実践は一朝一夕にできるものではないし、わたしにできるとも自信を持っては言えないけれどすくなくとも心には留めておきたかった。
2024.1.23(1-p.258)
ひさしぶりに国立西洋美術館に行き、キュビスム展を見た。アンリ・ルソー《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》(一九一〇年頃)を見ていて、これはまるで『献灯使』の義郎と無名ではないか!と思う。中央にいる二匹の猿の向かって左側のほうがオレンジをくわえていて、右側はそれをじいっと見つめている。オレンジを噛むちからを持たない無名に、義郎が代わりに噛み砕いてやっているのではないか。液状になったオレンジを口移しで無名に飲ませる場面があったような気すらしてくる。
ピカソ《女性の胸像》(一九〇九-一九一〇年)と《肘掛け椅子に座る女性》(一九一〇年)が並んでいて、ほとんど同時期に描かれてはいるものの、このふたつの絵画のあいだにはどこか決定的な境界線が引かれているように見えて、しばらくそこに立ちつくしていた。一歩下がって見てみると、前者にくらべて後者はかなり立体感がある。垂れさがった乳房やふくらんだ下腹の質感がよく見える。とはいえ前者がのっぺりとした平面かといえばそうではなくて、顔には左から、胴体には右から光が差しているように描かれたそのあべこべさが、絵の奥にこの女性が引っぱられているかのような、凹の方向への引力を感じさせる。凹んだ女性と出っぱった女性の並びに、重力のひずみが生まれていた。
2024.1.24(1-p.303)
カウリスマキの『枯れ葉』を見に行く電車のなかでプルーストを読む。会ったこともないスワン嬢が奇跡的に目の前に現れるのを夢見て、籠と釣り竿を見ただけで彼女がいるかもしれないとどぎまぎする「私」は、しつこく彼女のあらわれない静けさを語る。小鳥の鳴き声は「静寂と不動がいっそう強められて返ってくるばかり」で、「もっと速くすぎ去るように仕向けたはずの瞬間を永遠に停止させてしまったよう」だった。
『枯れ葉』のなかにも、その永遠に停止された静寂と不動の瞬間のようなものがあった。ある男性は意中の女性の連絡先をなくしてしまったのだけれど、ふたたび会いたいと思っている、だから以前一緒に行った映画館の前で待ちつづけるのだけれど、彼が待った時間の証拠として、地面に捨てられたあまたの煙草が映される。来るかもわからない待ちびとを待つ「永遠に停止した」「静寂と不動」の時間が煙草というかたちをとって顕現したようで、「私」が歩く庭園の小径の隅にも吸い殻の山ができていたんじゃないかと思う。
2024.1.25(1-p.352)
二〇一八年十一月二八日の柿内さんの日記に思わず吹き出してしまった。瞬時に岡本信彦の声であの台詞が再生される。「黙って聞いてりゃダラッダラっよォ…馬鹿は要約出来ねーから話が長え!」プルーストを読むうえでこれはさすがに禁句ではないか。このせりふが登場する『僕のヒーローアカデミア』第85話を読み返してみると、よっぽど死柄木は論理的かつ簡潔に話をしているわけで、プルーストを目前にした爆豪勝己は「大・爆・殺・神 ダイナマイト」の名に相応しい史上最強の爆破を見せるのではないか。爆豪勝己にプルーストを読ませたい。この日記を書いたときの柿内さんは知らないだろうけれど、かっちゃんは自分の過去や夢と向き合って人としてぐんと成長し、もうただの愛され不良キャラではなくなっている。なぜわたしはひとの過去の日記を物知り顔で見おろしているのだろう。
要約できない馬鹿である「私」に代わって柿内さんは話を簡単にまとめてくれる。
今朝の「私」は散歩をする。歩いているうちにテンションが上がってきて「ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ」と奇声を発しながら傘を振り回す。歩きながら、この田舎道でヤらせてくれるエロい農家の娘とばったり出会えたりしないかなあなどと妄想し、もちろん出会えず、トイレでオナニーをする。
――柿内正午『プルーストを読む生活』(H.A.B)p.28
そんな馬鹿な話ないでしょうと思って実際にプルーストを読んでみると、まさにこの通りなのである。柿内さんが書いたこの短文をもとに、可能なかぎり表現をこねくり回して長々と書き換えるワークショップの課題でも読まされているような気分だった。
今日は『文体の舵を取れ』の第十章、自分の過去作品を半分に切り詰めるという課題に取りくんでいた(二四〇〇字を一七〇〇字に減らすのが限界だった)。それゆえ「ここ、削れるかも」「ここはもっと素朴な表現でもいいかも」というふうに考えるのをどうしてもやめられないようで、「エロい女」の一言で済ませられるところに見ひらき一ページを割くプルーストに対してまどろっこしさをいだかずにはいられなかった。
わたしには無闇矢鱈に「エロい」ということばを使いたがるきらいがあって、というのも濱口竜介『偶然と想像』の第一話「魔法(よりもっと不確か)」で、魔法のように過ぎた時間を「エロい」と表現しているのを真似ているだけなのだけれど、そのうちには親密性のヒエラルキー上位に君臨する恋愛関係に独占的に付与された権利としての性行為に関わる領域に使われがちな「エロい」を、性的ではない場面に乱発することで恋愛や性にまつわる規範を突きくずしたいきもちもあった。
2024.1.26(2-p.23)
一巻を読み終え、全巻ボックスから二巻を引っぱりだす。見慣れた紫の表紙が突然黄土色になったので目が慣れない。表紙の絵はプルーストが描いた「マネの描いたレジャーヌの肖像」らしいのだけれど、マネはレジャーヌの肖像など描いていないらしく、存在しない絵画をまるで在るかのように語る茶目っ気、もしくはほんとうに思いちがいをしていたのかもしれない記憶の脆弱さ、どちらにしてもわたしはこれを「かわいい」と思わずにはいられなかった。
「土地の名―名」の末尾には、ブーローニュの森の風俗の変化を語る挿話があるらしいと二巻の冒頭「本巻について」で知ったので、ちょうど借りてきていたブレッソンの『ブローニュの森の貴婦人たち』を見る。動揺した手から落とされ割れるグラスや、風に吹かれてひらひらと手元に舞い戻ってきてしまう手紙といった、手にふれるものの質感が脳裏に焼きつく。そういえば最近、アンドリュー・ヘイ『異人たち』がそろそろ公開されるからと大林宣彦『異人たちの夏』を見たのだけれど、母が息子にアイスを手わたす場面の、母からすき焼きの椀、そして息子の顔へと舐めるように進むカメラワークがかなり印象的で、映画後半の母が息子にすき焼きを渡す場面でも、母を正面に捉えていたカメラは手わたされるすき焼きを真上から捉える場所へぬるりと移動する。手そのもの、そして手から手へとわたすことへの執念はブレッソンに通ずるものがあった。プルーストは「人を愛すると、その人が参画する未知の生活に自分も参入できると想いこむもの」(1-p.228)で、「それこそ恋心の発生に必要ないちばん大事なもの」だと書いた。それならわたしは「人を愛すると、不気味なまでの湿り気をもって何かを手わたす」のではないかと言いたかった。
2024.1.27(2-p.65)
音や会話が耳に入るとなにも手につかなくなってしまうたちなので、ノイズキャンセリングのヘッドホンを付けていることがおおい。ふと外そうと思ったときにいまの季節だと首にはすでにマフラーが鎮座しているから、ヘッドホンが行き場を失ってしまうことが多々あった。だから寒くなってきてからというもの、ほんとうにずっとヘッドホンを装着している。バイト終わりの客席でぼうっと本を読んでいるときももちろん、ノイズキャンセリングはオンにしていた。シャスティ・シェーンというノルウェーの作家の『月の精』という青年向け小説をひらいて、おとなしい読書家が熱心に読みふけっているような顔つきをしつつ、そのじつヘッドホンのなかの沈黙に耳を澄ませて左隣の女性ふたりの会話を聞いていた。母娘といわれてもなんら違和感のないふたりはおたがい敬語で話していて、若いほうがウン年働いていなかったがひさしぶりに履歴書を書いたみたいな話をした。その口ぶりはごくごく軽いものだったけれど、その履歴書を書く一筆目にどれほどの勇気と緊張と恐れが伴っただろうと想像するとわたしの胃がずんと重くなってくる。きっと彼女がボールペンを持つ指は震えていただろう、その震えをただカフェでとなり合わせただけのわたしは右手に再現する。
「自分のまわりに、自分で垣根をつくらなくちゃね」
マルグレーテはいう。
「それをするってことは、何も、他人の存在を感じなくなったり、誰かを想ったり、気にかけたりしないということではないの。自分自身の境界を持って、それを守るってことなのよ。自分がどこまでで、どこからが他人なのかがわからなかったら、生きていくのは、むずかしいわ」
――シャスティ・シェーン『月の精』(文溪堂)p.232
摂食障害は母娘関係を原因とする病であるとよくいったものだけれど、『月の精』の主人公シンディはみずからが拒食症に陥った理由のひとつとして、母と自分の境界がぼやけ、必要以上に融合してしまったことに行きつく。わたしはまだみずからの摂食障害の理由をはっきりと言語化できてはいないけれど、わたしもまた母とのあいだの垣根がひくすぎたのかもしれないとは思う。母のいらいらはわたしのいらいらであり、母の不眠や鬱はわたしが原因、わたしの摂食障害は母に起因するものだと、わたしと母は衝突しては互いに砕け散る惑星だった。わたしはわたしで、他人は他人である。他人の感情や感覚までをもわたしの領域にはいり込ませる必要はない。けれどわたしは、カフェで隣に座ったひとの緊張を想像して、それを自分に憑依させる垣根のひくさが嫌いではないし、むしろちょっと誇りに思っているくらいだった。ひくい垣根のなかででわたしは他人になったり、他人がわたしになったりしながら生きている。
2024.1.28(2-p.102)
思えば小学生のころにはすでに、読了冊数を増やすために読書をしていた気がする。今月は何冊読んだ、今年は何冊読めたということばかりを気にするあまり、ページをめくるのなどはやければはやいほどいいと思っていた。だからこそ管啓次郎が『本は読めないものだから心配するな』のなかで「本に「冊」という単位はない」と言いきっていたのにはこれまでの読書人生を真っ向からくつがえされて、この一文を読んだときの衝撃はいまだに忘れられなかった。
とはいえまだわたしは冊単位の読書に縛られているし、ゆっくり読むという方法を習得できてはいない。遅読の参考にと宮沢章夫『時間のかかる読書』を読みはじめる。この本は『『百年の孤独』を代わりに読む』と並んで『プルーストを読む生活』の着想源だった。けれどもなかなか読みすすめられなかった。ページは一向にめくられない。宮沢章夫は二〇二二年九月十二日にうっ血性心不全で亡くなった。わたしはその春学期だかに宮沢先生の授業をオンデマンド形式ではあるけれども受けていて、たび重なる体調不良による休講に、しょうじき当時は心配よりも限られた単位をこの授業に使ったのはもったいないことをしたと後悔ばかりを感じていた。初回の授業がおもしろかったからこそ、つづきを聞けないもどかしさもあった。そういうすこし濁った感情を抱いていたからこそ、宮沢先生の訃報を見たときにはスマホの画面を直視できなかったし、わたしの自分本位すぎるものの感じかたを目前に見せつけられ呼吸が浅くなり、とかいう混乱もまた自分本意であった。そういうもやもやが宮沢章夫という名前から想起され、読むことは停滞し、ぐずぐずしつづけていた。
2024.1.29(2-p.122)
多和田葉子は「ゆっくりとした時間、ゆっくりしているけれども過去へ未来へ何千年も跳躍できる力強い「遅さ」」が必要であり、そして文学にはその遅さがあると書いた。いまとなっては誰でも簡単に生成AIを使えるようになり、多和田がこの文章を書いたときよりもいっそう生活ははやく正確になっている。今年の上期芥川賞を受賞した『東京都同情塔』は生成AIの出力した文章が一部そのまま使われているうえに、著者の九段理江はプロットの段階で生成AIを利用したと一昨日のニュース番組で述べていた。書くという行為にどこまでAIを踏み入れさせていいものか、わたしはその距離感をまだ掴めてはいないからいっさい使わない方針に定め(というかだらだらと書きながら考えているからAIを使う余地がなかった)、ChatGPTとは疎遠だったけれども、せっかく存在を思いだしたのだから今日の日記はこいつに書いてもらおうかと思いたち、今日の出来事を簡潔に送ってみた。返ってきたのがこれだった。
*
今日は穏やかな一日だった。朝はのんびりとした時間を過ごし、心地よい冬の陽光が部屋に差し込んできた。まずは、久しぶりにプルーストの『失われた時を求めて』に没頭した。その豊かで繊細な文体に引き込まれ、時間の経過を忘れてしまった。
昼には映画の世界へと旅立った。二本の映画を鑑賞し、異なるストーリーに引き込まれた時間は心に余韻を残してくれた。感動やメッセージは、現実の世界に対する新しい視点を提供してくれた。一本目は深い哀愁に満ちた映画で、登場人物たちの複雑な感情に引き込まれた。彼らの哀れで切なる物語が、心に深く残る時間となった。次に観た映画は意味論的な謎と心理的な緊張感に満ちていた。登場人物たちが直面する独特な状況と、その中で生まれる意味の混乱が、鮮やかに描かれていた。観終わった後、頭に残る言葉やシーンが、何度も心に浮かび上がってくるようだ。
午後、何気ないことだけれども、長い昼寝をすることに決めた。ゆったりとした時間が、疲れを癒し、心身をリフレッシュさせてくれた。映画の印象が心に残りながら、夢の中にもまた異なる物語が広がっていた。目を覚ますと部屋は柔らかい夕暮れの光に包まれていた。
日記を振り返りながら、今日の穏やかな一日を大切に思う。良い本に触れ、感動的な映画に浸り、自分のペースで過ごす時間は、心の充実感をもたらしてくれる。今日の経験を大切にし、明日への活力として感じていくことにしよう。
*
「深い哀愁に満ちた映画」も「意味論的な謎と心理的な緊張感に満ち」た映画も見ていないから、ChatGPTの合間を埋める創作力というのはたしかにすごかった。けれどもやっぱりぼんやりとした当たり障りのないことばの羅列ほどおもしろくないものはない。生成AIを使うのにも高度な技術が必要だし、わたしにはうまく付き合えそうにもなかった。
2024.1.30(2-p.168)
スワンの恋を読みすすめる。ある一文につまずいた。
たしかにオデットは「古美術」が好きだと言い張り、一日じゅう「骨董あさり」をしたり「がらくた」や「時代もの」を探したりするのが大好きだと、いかにも嬉しそうに通ぶって言う。
――マルセル・プルースト『失われた時を求めて(2)スワン家のほうへ Ⅱ』(岩波文庫)p.141
オデットは「通ぶって」言った。しれっと言ったのではなく、打ちあけるように言ったのでもなく、「通ぶって」言ったのだった。ここには大した教養も洗練された趣味もないくせに「通ぶって」いるオデットへの嘲りのニュアンスが透けて見える。では誰がオデットを「通ぶって」いると語るのかといえば、たしかにスワンは「時代もの」を褒めそやすオデットに、じゃあそれはいつの時代のものなのかと尋ねているから、スワンがそう語ったのかもしれない。けれどスワンはまた、「教養のない下品な女を連れ歩きながら、ますます洗練された芸術作品に惹かれるという不調和」を感じていたのが、オデットを愛するようになってからは「女が好きなものを気に入るように努め」るようになったわけで、こうも白々しく「通ぶって」などとオデットを評さないのではないかという気がしてくる。そうであるならば、オデットを皮肉たらしく「通ぶって」いると語ったのは、ひとまず語り手としかいうことができない。突如にゅっと得体の知れぬ語り手が顔を出してきたのだろうか。
ところで昨日『哀れなるものたち』を見てきたのだけれど、まさしくスワンのような無教養でばかな女を愛するダンカンという男が出てきた。自殺を図った妊婦はみずからが身篭っていた胎児の脳を移植され、新たにベラとしての生を授かる。ベラは常識や社会の規範に囚われず、外界のさまざまをスポンジのように吸収していく。また本を読むことを知り、ベラの話しかたは幼児のようなものから知的なものへと変容する。そこでダンカンはベラの読む本を海に投げ捨て、「かわいい喋り方が失われてしまった」と嘆くのだった。スワンもまたオデットに知を与えようとはせず、格下の無教養な女にみずからが趣味を合わせることに快楽を感じている。女が知的であることへの男の焦りやいらだち、もしくは無知な女への優越感は、プルーストの死後約百年が経ったいまでも語られつづけている。ベラには何度本を投げ捨てられても新しい本を手わたしてくれる仲間の女性がいて、オデットにもそんな女性がいてくれたらいいのに、もしもわたしがその女性になれるとしたらどんな本を手わたすだろう、幼いころ愛読していた工藤直子の『ともだちは海のにおい』なんていいかもしれない。
2024.1.31(2-p.200)
河出文庫の『時間のかかる読書』を読んでいると、「なんてタイトルの本を読んでいるの?」とすこし驚いたような反応をされて、たしかにこうも大量の「か」が並んだ表紙の本を読んでいるのはいささか狂気的に映るのかもしれない。それから机に置いていたプルーストを指さして、これはどんな本なの?と聞かれたけれど、うまく答えることができなかった。いうなれば社交人士の男が、恋した女に金銭的な援助をしながら、金目的とされていることにそれほどの不快感を抱かず、むしろ恋そのものの面倒くささから切りはなされた数値としてみえる金銭に快楽を見出しているわけだ。なんといえばいいものか。マドレーヌの香りにさまざまな記憶は喚起される小説と簡単に表現してもいいのだけれど、『時間のかかる読書』を読んでいるわたしとしては、簡単にウィキペディアで読めるようなあらすじを話してしまうことがすくなくともいまはできない。だから「めっちゃながい小説」としか言えずにひとつのすごみも伝えることができなかった。要約の誘惑にあらがうばかりでことばを失っていた。
2024.2.1(2-p.234)
『これからのエリック・ホッファーのために』を読む。てっきりエリック・ホッファーについての本かと思っていたら、エリック・ホッファーのようにアカデミアに属せずに在野研究を続けたひとびとについての本だった。すごくおもしろい。研究は大学のなかでしかできないものだと無意識のうちに思い込んでいたのが解きほぐされていく。大学を卒業したらわたしはどうなるのだろうと漠然とした不安がずっとある。特に一年半の休学から復学することに決めた先月からというもの、働くことはおろか生活を営むことに対する不安をふとした瞬間に思いだす。労働をしながらでも(絶対に労働はしたくないと拒む在野研究者もいたけれど!)本を読み考え書くことはできると、思索や言葉によって支えられた生活を送ることは可能であると説く先人の生きざまを読むことが、そして柿内さんの日記そのものが、わたし自身が生きることへの自信につながった。
それからすこし『波止場日記』も読む。初日にホッファーが歯医者で歯石を取ってもらっているのを読んで、わたしもそろそろ歯医者に行かなければいけない、というか年が変わるまでには行こうと思っていたのを先延ばしにしつづけいまに至ることを思いだしてしまった。ほんとうに歯医者がきらいだ。いま自分の口のなかで何が起こっているのかわからないことがむずがゆい。歯医者の視界を脳内に直接送ってほしい。歯医者に行く覚悟をかためるために『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を本棚から出して積む。これを読みおわったら歯医者に行こうとまた先延ばしにした。
2024.2.2(2-p.289)
プルーストを読みはじめてからというもの、何かを読みたくなったときについプルーストに手を伸ばしてしまうせいでほかの小説がなかなか読めなくなっている。もちろんこの小説じたいがとてもおもしろいというのもあるのだけれど、いくら必死についていこうとしたところで見かけたラーメン屋に入っていってしまったり、道端に落ちている石ころに幼少期を思い出したりする厄介な散歩人のような小説だから、べつに置いていこうがべつの道に行こうがなんだってよくて、その気楽さが身体になじんでしまった。すごくひさしぶり(な気がする!)にプルースト以外の小説、保坂和志『残響』を読んでいる。ひとつめの短編「コーリング」は、むかしともに時間を過ごしたひとびとのいまの生活が、感情や想起によってゆるく結びつけられながら語られる。ぼうっとしていると視点人物が移り変わっていて、あれれと思いながら戻ったりするのだけれど、その読みまちがいが人物たちの影を重ねる働きをしてくれて、もう二度と会わないかもしれないひとびとがべつの場所で過ごした時間が、ずれながらも重なろうとするその動きにじんとする。思いだしても、思いださなくても、わたしたちの生は重なりあっていた。
2024.2.3(2-p.310)
わたしは三年くらいこのお店でアルバイトをしていて、それなりに業務にも慣れたしお店のこともわかるようになってきたけれども、わたしの入社と同時に辞めたひとやもっと前に働いていたひとたちのことはとうぜん知らなくて、とはいえ長年の常連さんたちは彼らを知っているというのはかなりへんな感覚だった。みたいなことを考えてしまったのは、保坂和志の「残響」を読んだからで、そのあたりをあるき回っている猫は住人が入れ替わっていることを見ているのではないかだとか書いてあった。しかし「犬は人につくが猫は家につく」とことわざでもいうだけあって、猫の記憶は家に宿っているのだとすると住人が変わろうとそれはただのダブルキャストの演劇に過ぎないともいう。客の記憶が店に宿るのだとすれば、就職とともに辞めていった先輩たちや介護のために地元へ帰ったフリーターのかたもわたしとおなじ役柄を演じるダブルキャストで、彼らの退職のときにはひそやかにキャスト変更がアナウンスされていたのかもしれない。
むろんお客さんは猫ではない。すくなくともそう信じたい。二十年以上来てくださっているお客さんなどからすれば、キャストの入れ替わりなどもう慣れっこになっているのだろう。わたしが働いたこの三年のあいだにも、もともといたキャスト陣はほとんどがべつの場所へと去っていき、いなくなってしまった。数年前まで常連だったけれど最近は来られていなかったお客さんがいまうちに来店すれば、キャスト総入れ替えのすっかり変わった演劇にきっと驚くだろう。
名前も顔も知らないキャストたちが何度も再演してきた演劇を、いま、わたしは演じている。彼らの積みかさねてきた時間、社会人となりもしかしたらいまはお客さんとして来てくれているかもしれないむかしのキャストたちがつないできた時間、わたしはその厚みを想像することでしかはかることはできないけれど、彼らの軌跡を実際に見てきた常連さんと対面することはできる。いつかわたしもこのお店を辞めて、わたしと一緒に働いていた同僚も全員が辞めて、すっかり過去のものになってしまうときが来たとしても、わたしたちが演じてきたものは常連さんの記憶に浸透し、再演を紡ぐ一本の糸としてつながっていくのだろうと信じることができる。
2024.2.4(2-p.342)
『ライティングの哲学』を読んで、すぐに触発されてしまうたちだから、いろいろなソフトを用途べつに併用して書いてみたくなり、いろいろ調べてみたりワークスペースを整えたりしていたらあっという間に日が暮れていて、それでいてほとんど何の進捗もない。
とはいえもちろんこの本はわたしから無為に時間を奪ったわけではなくて、千葉雅也の「書かないで書く」=「規範的な仕方で書かない」「脱規範的に書く」というフレーズから日記の書きかたをすこし変えてみることにした。時間ごとになにをしていたか、そこでなにを思いついたかを適当に書きなぐってみる。これまで書いていなかった時刻を書いてみる試みは、ホッファーの『波止場日記』からの影響もあった。とにかく書かずに書いてみる。
十四時、帰り道に寄ったスーパーの出口で、荷物の量を確認し、もう一件のスーパーにはしごできるかどうか逡巡し、野菜売り場のあたりをうろうろ回っていたら、ふつうに入店してきたひとにぶつかりかけて頭を下げた。十七時半、電源タップ欲しさに向かったセリアにそれは売っていなくて、ここから徒歩二〇分のダイソーに行こうか悩んでふたたび店内をうろうろし、外に出てからも家路に着くかダイソーのほうへ足を進めるか決めかねて、駅前広場で立ちどまってツイッターを見たりしている。明日行ってもいいし、できれば今日欲しいけれど、なくてもべつに困りはしない。けっきょく何が決め手というわけでもないけれど行くことにした。ダイソーには売っていた。こう書いてみるとわたしは決断がおそいほうなのかもしれない。ずっとおなじところをぐるぐるしていて(思考においても、実際の行動においても!)遠くまで足を伸ばすことができない。まあでもそれでいいのかもしれない。スワンだってずっとオデットのことばかり考えているし、すこし前にはまるで嫉妬心から解放されたかのようだったのに、またもオデットは自分が見ていないとき誰と一緒に過ごしているのだとか他人の生活に踏み込んでは嫉妬心を燃やしている。ぐるぐるすることこそが人間の営みなのかもしれなかった。
けっきょくとくに変わらないいつも通りの日記になってしまって、「書かないで書く」ことには失敗したような気がする。
2024.2.5(2-p.371)
夕方から明日の朝にかけて雪が降るそうだ。行こうと思っていたレイトショーをやめて、家でゆっくり過ごすことにする。もうしばらく雪というものに出会っていないような気もするし、去年だかに一面の雪に大はしゃぎする犬の姿を見たような気もする。なにかと大雪警報が出たり不要不急の外出を控えるよう呼びかけられたとて、杞憂に終わることもおおかった。
雪に関する記憶をうまく思いだせないでいながらプルーストを読んでいると、過去として過去を思いだそうとするとき、それはなんら「過去を含んでいない」と書いてあって、なるほどたしかにと思う。雪が降るたびに(もしくは降ると予報されるたびに)雪が降ったあの日のことを思いだし、また次の年にはあの日を思いだしていたあの日を思いだすといったふうに、思いだしの連鎖が層となって積み重なったうえに立つ今日の雪は、たしかにわたしにむかしの雪を想起させたけれども、そこに純粋な過去は混じっていなかった。
けれどたしかにわたしは人生のなかで何度も雪を見てきたし、関東でしか暮らしたことがないのもあって雪を見るたびに、雪の記憶の核になるような「なにか」を思ったはずだった。そのちりちりと光る「なにか」が、いったいなにであったのかはもう思いだせないけれど、「なにか」を思ったことだけはたしかだ。プルーストがいうように、その言語化できない感覚としての「なにか」はわたしが死ねば消えてしまうものであるかもしれないけれど、そこに「なにか」があったことを否定はできない(わたしがだれにも否定はさせない)し、その「なにか」こそが求めるべき人生の真実であって、それを言語やイメージとして表現できなくとも、輪郭もないそれをこころのなかに抱きながら死ねるのならば、それはそれでいいのではないかというわけである。
いまこうやってプルーストを読んでいて、すごくおもしろいと思いながら毎日ページをめくっているこの高揚も、十年後にはほとんど忘れてしまっているのだろう。十年後はおろか、べつのことをしていたら一時間後には、忘れないようにしておこうとこころに書き留めた一文をすっかり忘れてしまっていたりする。きっとすべてを忘れてしまう。すこし前に読んでいた保坂和志「残響」で、時間の経過は痕跡でしかなくて、その軌道は残らないみたいなことがいわれていたことを、記憶の淵ぎりぎりで覚えていたのを思いだす。軌道を失いたくないために日記をつけているけれど、これを書いているいまも刻一刻と軌道は失われてしまっているわけで、もうわたしにどうこうする術などないのだけれど、必死に記憶や過ぎてしまった時間を再演しようともがいてしまう。人生最期の瞬間に思いだすのっていったいいつの情景なのだろうなとふと思う。
2024.2.6(2-p.404)
移転してから初めてbunkamuraの映画館に行った。オンラインでチケットを予約するとメールで送られるQRコードをかざすだけで入場できるしくみで、紙のチケットを発券することはできない。せめてペーパーレス入場もできるけれど、紙チケットの発券も選択肢として選べるようにしてほしい、とチケットを収集しているわたしは思う。どうしても紙のチケットが欲しいから、オンライン予約はやめてチケットカウンターでチケットを取った。口頭で席番号を伝えるなんていつぶりだろうか。それから会計が終わりチケットを受け取ったあとに言った「ありがとうございます」が店員をやっているときのトーンになってしまって、恥ずかしさに顔を伏せる。買いものにおいて客よりも店員をしている時間のほうが圧倒的に長いというのもあって、自分が客であるときにも店員のわたしに憑依されてしまうことが多々ある。わたしが店員をしているときにも、おそらく接客業に従事しているであろうお客さんが、店員の自我に乗っとられる瞬間を何度も見てきた。それを店員として見ているぶんには微笑ましいのだけれど、いざ自分のこととなるとすごく恥ずかしかった。
バス・ドゥヴォス監督の映画を二本続けて見た。『ゴースト・トロピック』は、部屋を写した定点カメラの映像に家の声によるナレーションが被せられた不思議なオープニングにはじまる。家はそこで、わたしは時間を見ることができる、時間の蓄積が家具となるのだと語る。無機物が無機物を見る固定された目が時間の経過を見ることができるとしたら、人間が時間を見ることができないのは、人間自身が流動的にかたちを変えながら視点を移動しつづけているからなのだろうか。動く人間の目は無機物の時間を見ることができるのだろうか、たとえばものの劣化に気づくことは時間を見たと言えるのだろうか。無機物の目は人間の時間をいかに見ているのだろうか。
今日のプルーストは、スワンが出会う前のオデットについて考える箇所が印象的だった。出会う前の時間は「漠然と目にうかぶ抽象的期間ではなく、多くの具体的事象も詰め込んだ個別の歳月から成り立っている」ことをスワンは悟る。歳をとってさまざまなバックグラウンドのひとと関わるようになってから、新しいひとと出会うたびにそのひとが過ごしてきた時間やそれが押し歪められた記憶の大きさに圧倒されてしまうことがある。とはいえその時間や記憶というものは、わたしが想像した典型的なノスタルジーでしかない。具体的な時間としてひらくことができないから抽象的なイメージに妥協しているだけのことだった。お互いに動きつづける点Pであるわたしたちは、お互いの時間を見ることはできないけれど、お互いが想像もつかないような時間を生きてきたことだけが明確な事実だった。
2024.2.7(2-p.448)
ついに「スワンの恋」が終わった。陳腐ではあるけれど、最後のページをめくったときに広がる空白を見て、長かったような短かったような気がすると心のうちでつぶやいた。それと同時に、まるで百年の恋も冷めたかのようなスワンではあるけれど、このあともまたうだうだとオデットへの想いに振りまわされるのではないかと思わずにはいられなかった。とはいえめっぽう恋愛がよくわからないわたしが恋についてなにを言っても的外れになりそうだった。
2024.2.8(2-p.485)
プルーストのいう「小説じみた」ってなんなんだよ。「私」はジルベルトのさまざまな態度に「小説じみたものを付与してしまう」らしいけれど、いったいそれってなに? 「映画じみた」といえば派手でしらじらしいことをあらわすだろうし、「漫画じみた」といえば現実ばなれした子供向けなものを想像する。けれど同じ物語でも小説だけは「じみる」ことの意味が明確ではない。そのうえ『失われた時を求めて』のような小説を書くひとのいう「小説じみたもの」というと、より一層わからなくなってくる。そもそも「じみた」は漢字で書けば「染みた」であり、小説の概念が染みた布のようなものだとすると、どんな小説にひたしたかによってジルベルトの行動の解釈は変わってきてしまうのではないか。そもそも「小説じみたもの」がなんたるかを簡単に説明できてしまったら、小説が存在する必要なんてなくなってしまうのだろう、「小説じみたもの」の定義を探究することこそが小説という営みなのだと思う。
みたいなことを考えているのは、一睡もしないまま迎えた朝の五時である。昨日の午後から過集中ぎみでずっと作業をしていたのに加えて、夜の回で『ストップ・メイキング・センス』を見てしまい心身の核がずっとうち震えているためにいっさいの眠気がやってこなかった。デヴィッド・バーンには『アメリカン・ユートピア』で打ちのめされたのち、オスカー授賞式での『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』とリンクした“This is a life”のパフォーマンスに感動させられたというだけで、トーキング・ヘッズのことはなにも知らなかった。それでも、IMAXの音響も相まって心臓にまで音楽が届いてくる、ほんとうに最高の経験だった。これまで知らなかったことが悔しいし、このライブが行われたときには生まれてすらいなかったことを恨みたくなる。けっきょく一睡もできなかったわりには元気、というよりむしろいつもより快調で、銀座の蔦屋書店に行って折坂悠太の歌詞集を買った。
家に帰って千葉雅也『オーバーヒート』を読んでいると、段落が変わるところで急にがくっと眠気が来た。けれど風呂に入ったらまた眠気が覚めてしまった。千葉雅也から連想してひさしぶりにアルコールを摂取しながら日記を書いている。書き終えたら眠剤を飲んで寝ようと思う。
2024.2.9(3-p.23)
けっきょく眠剤は飲まなかった。ぶつぎりの浅い睡眠しか取れず、うすくひき伸ばされた眠気に頭をもたげながら、電車で『オーバーヒート』を読んでいた。淡白と緻密が同居した文体に時おり現れる、音声入力を自動で文字起こししたものを「うじゃうじゃ」と表現する遊びごころも、いかにも千葉雅也なツイートでふと文体の糸がゆるむ感じも、眠気と混ざりあってちょうどいいグルーヴ感を生みだしていた。
大学で友人と会っていろいろな話をした。友人と話しこんだ日はあまり日記を書く気分になれず、なんとなく白紙のままにしてしまったり、「書きのこしたくない一日だった」くらいのことだけ書き留めて終わりにしてしまうことが多い。今日も紙の日記のほうには何も書かず、これはパソコンでべた打ちしている。
そこには記録として残しておくべき会話がたくさんあって、それらを忘却の波にさらしてしまうことに切なさを感じるのはとうぜんのことだった。けれどもそれ以上に書いて残してしまうことによって削ぎおとされてしまうであろうその場の質感が愛おしくて、書くことができなかった。いつかなにかのきっかけでふと今日のこの空間に移送されたかのように会話を思いだすかもしれないし、思いださないかもしれない。未来のわたしはどんなふうに今日を思いだすのだろうと想像することはけっこう楽しいことだ、と二巻最後の一文を読みながら思う。二度と思いだされないとしても、それはそれでいい。
あるイメージの想い出とは、ある瞬間を哀惜する心にほかならない。そして残念なことに、家も、街道も、大通りも、はかなく消えてゆくのだ、歳月と同じように。
――マルセル・プルースト『失われた時を求めて(2)スワン家のほうへ Ⅱ』(岩波文庫)p.519
2024.2.10(3-p.37)
今日はめっきり文字のうえを視線が滑るばかりの日で、読めなさに身体を支配されていた。読むことができないと書くこともできない。日が落ちてもなおうろうろと散歩をつづけ、寒いなあと手のひらを擦りあわせる。それからお風呂に入って早めに寝た。よく眠れていない日々のせいでとにかくいつまでも眠りたいと思うばかりだった。
2024.2.11(3-p.107)
後輩とラインでやりとりしているとき、約十年前に人生初のライブのチケットを発券しにウキウキしながらコンビニへと歩いていたときのことをふと思いだして、そのことを書いて送った。その日のことを思いだすのはたぶん初めてのことだったと思う。すっかり忘れていた夏の暑さや店員さんと対峙する緊張感が、どっと蘇ってくる。匂いではないけれども、マドレーヌ効果ってほんとうにあるんだなあとしみじみする経験だった。このラインがなかったら一生思いだされることのない時間だったかもしれないと思うと、友人には感謝のきもちでいっぱいだった。
スワンの恋を読んでいるときは、ぐるぐるとおなじところを行ったり来たりする恋愛に飽き飽きして、ぶつくさ文句を垂れながしながら読んでいたものの、いざ語りの中心が「私」に戻ってくると、あのスワンの無自覚なうちの堂々めぐりに愛おしさすら感じられてきた。ちょっと二巻に戻ってみてスワンに再会しに行ったりもする。
プルーストは一巻読み終えるごとに岩波の美装ケースから新しいのを抜きだしてきているのだけれど、読み返すかもしれないと思って読み終えた巻も仕舞わずに机のうえに置きっぱなしにしている。このままだと十四冊分のプルーストタワーが机上に建立されてしまうことになる。
2024.2.12(3-p.131)
朝起きてまず顔を洗い、着替えて髪の毛にアイロンを通してからプルーストを読むというのが習慣化されてきていて、ここまでの進捗もほぼすべて起きがけに読まれたものである。いつかプルーストを読んでいたいまのこの日々をだれかに語ってみせるとき、もしくは頂きもののマドレーヌのかけらが紅茶に落ちたとき、思いだされるのは冷えた朝の空気や新聞受けに朝刊が落ちるカコンという小さな音なのかもしれない。ルーティン通りにプルーストまでたどり着いたのち眠たくなったので布団を敷きなおしてちょっと寝た。
朝いちばんの回で『夜明けのすべて』を見に行った。祝日とはいえ朝もはやくから席はかなり埋まっていて、松村北斗を目当てに来た女性がだいたい九割くらいだろうか、残りの一割にシネフィルっぽいおじさんが座っていた。予告が流れているあいだも続々と入ってくるひとびとを見やりながら、どちらかといえばわたしはこの映画を「三宅唱の新作」として楽しみにしてきたのであって俳優目当てではないからね!、みたいなどこへ向けるでもない言い訳めいた主張は脳内で叫ばれつづけていた。女性の見た目をしているがゆえに女性ファンたちと同化しながらも、語らいたいのはシネフィルのおじさんのほうで、自らのまなざしによって他人を勝手に判別しながらも、他人のまなざしによってわたしもまた見定められ、ひとつしかないはずの身体が引き裂かれるような複雑な感じだった。それはそうとわたしは松村北斗のことが俳優として大好きだ。『すずめの戸締まり』も『キリエのうた』もほんとうにすばらしかった。
一度Audibleで原作小説を聴いてはいたけれど、あらためて映像として上白石萌音や松村北斗が向精神薬を服用している場面を見ると、わたしの物語だと思わずにはいられなかった。あたらしい向精神薬をはじめる日はほんとうに眠くてつらい。二十四時間以上つづけて眠ったこともあったほどだ。倒れこむ上白石萌音を見ながら、わたしも指先や身体の中心にあの人工的な眠気を思いだしてしまっていた。
周囲に自身の精神疾患を打ちあけることに付随する、理解されないのではないかという恐怖や過剰に気を遣わせてしまうのではないかという不安、打ちあけることじたいが気遣いを要請しているようで傲慢に感じられることなど、周囲の人間と自分の疾患とを共存させることのむずかしさは、自分の生のなかでいたいほど感じてきた。加えてたとえばわたしでいうと摂食障害のナラティヴをよく読むのだけれども、たいていが恋愛をしたら、いいひとに出会ったら治ったというものばかりで、恋愛がわからないわたしはもう袋小路に入ってしまったものだと思ってきた。そういう終わりのないネガティブはすぐ希死念慮へとすがたを変える。恋愛関係でなくとも他人同士救いあって生きていけるとつよく伝えてくれる物語が存在することはすごくうれしかった。劇中何度も涙が出てきた。
わたしとおなじようにこの物語に救われるひとはたくさんいると思う。三宅唱が大好きなシネフィルの仲間たちも、北斗くんが大好きなオタクたちも、この映画を見て帰り道の空がすこし明るく見えたのはきっとわたしだけではないはずだ。きっとこれから何度も見かえす映画になるのだろうと思う。
2024.2.13(3-p.162)
外来と認知行動療法に行くたびに「最近はどうですか」と聞かれるから、病院に向かう道すがらこの一週間の体調や精神の様子を思いかえしてみるのだけれど、もはや調子が良いのかわるいのかすらわからない。「私」が「血液の循環と同じくつねに体内を循環する不調のことは日ごろから気にしないようにしていた」ように、血液にまで染みこんでしまった不調をいちいち気にかけていたらきりがなく、それだけに脳を占領されてしまうからと知らんぷりをしていた。見ないふりをされつづけた不調は、取りのぞかれたようにも感じられるし、もしくはその不調に慣れてしまっただけとも思えた。それでもたまにこんなにも調子がわるく痛む身体とともに生きつづける自信がないとめげることがある。そういうときにはだいたい、右肩下がりに悪化しつづけた体調のゆくすえを想像しては気分をふさげている。
『精神0』というドキュメンタリー映画を見ていて、「0に身を置く」ということばに胸を打たれた。なにかをしてなにかを感じるということは、0の地点から見るとそれだけですごいことであり、自分に自信を持っていいというわけだった。今日は主治医にも心理士さんにも「大丈夫だからね」「よくなってきてるからね」と何度も励まされた。その励ましに、嘘っぱちなのではないかだとかつらさを認めてくれないんだとか反発的なことを考えてしまったのも事実だった。いまのわたしが、以前より回復したこともまた事実なのだけれど、それを他人にことばとして指摘されると、こころに真っ黒の穴が空いてそのままそこに落っこちてしまうような絶望がある。病気の自分でいたいというきもち、それを奪われたらわたしがわたしでいられなくなってしまうような不安。どうしても0の地点には留まっていられず、変動するわたしの地点でものを見てしまう。
2024.2.14(3-p.232)
三巻に入ってからというものあまり調子はよくないかもしれない。かろうじてプルーストだけは読めているけれども、それ以外の読書がめっきり進まない。二週間くらい前に読みはじめたはずの多和田葉子『百年の散歩』はまだ三〇ページのところで栞が止まっている。調子が良いのかわるいのかわからないと書いた翌日にこう書くのもなんだけれど、調子がわるい。
もともと中途覚醒がかなり多く、それでは何時間寝てもじゅうぶんに疲れが取れた気がしない。寝つきのわるさもあって眠剤を処方されていた。けれども毎日眠剤を飲めるかというとそうではなくて、飲んだ翌日には、五分五分くらいの確率でとてつもない眠気で午前を捨てることになる。天然の眠気とは比べものにならないそれを想像すると、どうしても眠剤に伸ばす手は止まる。うまく調整できたらいいのだけれど、ちゃんと眠りにつける量飲むと翌日に残ってしまうし、翌日に残らないように減らすと今度は眠れなくなる。翌日の予定の有無で眠剤を飲むか否かを考えなければならなかった。
わたしには精神的な波と一緒に眠りの波も押しよせてくるらしい。前の主治医にそう言われて、自分では気づきもしなかったその波を自覚した。落ちるとひたすら眠くて、逆にあがるといつまでもやってこない眠気におそろしさすら感じる。今日は午前が過ぎて眠剤が抜けたであろう時刻になってもひたすらに眠かった。パソコンの前で机につっぷして気絶していた。いつもより二時間も遅く起きたというのに、朝の電車でも一時間眠りつづけたのはどこにいったのやら。髪の毛を後ろに強く引っぱられるような頭痛もしてくるし、それに伴う吐き気もうすく覆いかぶさってくる。すべてをリセットするつもりで二時間ほど昼寝をしたけれども、逆に頭は重くなってしまった。
これを書いているいまも猛烈に眠い。キーボードを打つ手がいまにもしおれそうだった。今日のところでプルーストは、作品を消化するのにかかる時間のことを書いていて、たとえば音楽なら二、三回聞いてようやく「はじめて聞いた」(はじめて理解した)といえるようになるらしい。初めて聞くときには欠如しているのは理解ではなくその曲の記憶で、あくまでもこの記憶は「その最中に直面せざるをえない複雑な印象と比べると取るに足りないもの」である。その頼りない記憶はくり返し聞くことによって印象に対応しうるつよさを得るというわけだ。ゆえに真に優れた楽曲が理解されるには時間がかかる。生前には無名だったけれど、死後になって評価された芸術家の存在はこの理屈で説明できる。
ほんとうにそうだろうか。わたしはこれにすこし反論をしたくなった。先週出会ったトーキング・ヘッズ、彼らの音楽を聞いたことは一度としてなかったはずなのに、すでに自分のなかにあるリズムとことばに共鳴して、彼らの音楽を聞くのははじめてでありながらはじめてではなかった。トーキング・ヘッズの音楽の細胞はいつしかすでにわたしの細胞に組みこまれていたようだった。初めて『ストップ・メイキング・センス』を見た日、まだ生まれてすらいない時代のライブでわたしの感覚が歌われていることに驚き、滑り止めのグリップがたくさんついた軍手で脳みそを掴まれて上下左右に揺さぶられる目眩と動悸をおぼえた。二回目のときは、バーン以外のメンバーの動きをじっくり観察していたけれど、初見のような感覚と記憶そのものを打ちくだかれる衝撃はなくて、そこにあるのはしずかな感動の波だった。「はじめて聞く」とはいえそれがほんとうに「はじめて」と感じられないこと、それがべつの記憶と混同した脳のバグだとしてもたしかに「はじめて」ではないと言いきれること、そしてその「はじめて」であるはずの音楽との再会による奇妙な高揚はあると思う。
いまではネタバレがタブー視され、初見こそが至高な価値観が広まっているけれど、プルーストはこれに対してどう思うだろうか。わたしはふだんネタバレを気にするタイプではないし、小説や映画なら再読/再鑑賞してようやく触れられたと思っているたちで、だからプルーストにはだいたい同意できる。そういうわたしだったからこそトーキング・ヘッズから受けた初見の衝撃はすさまじいものだった。「はじめて」のあの時間には勝てないのだろうとわかっていても、もう一度見たくなってしまうのが『ストップ・メイキング・センス』だった。
2024.2.15(3-p.261)
身体と精神がうまくかみあわない感じがあって、ひとつに運動強迫ゆえに必要以上に歩きまわって時間を浪費してしまうこと、そして一日の終わりにそれをぼんやりと後悔すること、ふたつに読みたいとそそられて手に取った本の文体の浸透圧と身体とがぶつかりあってなかなか読めないということだった。やりたくないのにやってしまうこととやりたいのにできないこととで生活が充たされていた。
本が読めない理由のひとつにはプルーストの存在があるように思う。プルーストの文体――なめらかで生命の香りが充満した語りに目と耳が慣れてしまったせいでほかの作家の文体がしっくりこない。保坂和志はぎりぎり読めるけれど、多和田葉子はまったく読めなくていちいちつまずいた。本屋に入ってもプルーストに均されたわたしの感性では、本たちと親しみあうことができず、けっきょく目当ての一冊だけを買って帰ることが多くなっていた。
これはまずい、とどこか本能的に危機感を抱いた。本が買えないぶんお金が貯まると考えればわるいことではないのだけれど、本を買うのが趣味であり生きがいでもあるといっても過言ではない人間にとっては一大事だった。こういう事情があって、よかったらわたしに本を選んでくれませんか? と後輩に訊くと快諾してくれた。今日はその一緒に本屋に行く日だった。
ひとりだったらきっと、家にプルーストあるしな、プルースト読めたらそれでいいしな、と早々に帰ってしまっていたであろうところを長々と回ることができたのはひとえに後輩のおかげだった。それでも本を手に取ったふとした瞬間にプルーストが頭をよぎり、棚に戻してしまったことはあった。すっかり身体も感覚もプルーストに乗っとられてしまっている。すこしプルーストから距離をおいたほうがいいのかもしれない。
今日買ったのは、小山清『小さな町・日日の麵麭』、小津夜景『いつかたこぶねになる日』、植本一子・滝口悠生『さびしさについて』、東直子『朝、空が見えます』、柴崎友香『よう知らんけど日記』。すごくいいラインナップに、眺めてはにやにやしている。それから本棚の一番上から柴崎友香『続きと始まり』を取りだし、プルースト以外の文章にも触れようと試みた。
2024.2.16(3-p.280)
だとかいって読みはじめられたのは小津夜景『いつかたこぶねになる日』だった。柴崎友香にはもうすこし寝ておいてもらう。柴崎のうえに多和田の『雪の練習生』が置かれ、さらにその上に保坂の『未明の闘争』が積まれた。柴崎友香が揺りおこされるのはしばらく先になりそうだった。
突如保坂がおどりでてきたのは、しばらくプルーストにかまけて読んでいなかった『プルーストを読む生活』に『未明の闘争』が出てきたからだ。横浜といえばという連想から引きだされたこの小説の話題がそれ以上膨らむことはないのだけれども、ずっとそれを机の棚に積んでいたわたしにたいして、柿内さんは読むようにと働きかけてくるようだった。なんとなく重そうにみえる深い紅色の表紙がつねに視界をちらついているのはどこか風流だとあらためて気づく。
2024.2.17(3-p.314)
小津夜景『いつかたこぶねになる日』に収録されている一編「それが海であるというだけで」を読む。海には純粋な快楽があるけれど、寄せては返す波がもたらす永遠の感覚は憂うつともつながっている。
つまり海は、懲罰性をはらんだ倒錯的な死の時間を、その波間に隠しもっているのだ。
――小津夜景『いつかたこぶねになる日』(新潮文庫)p.24
という文章は、わたしが海を見るときに感じる漠然とした不安を、憂うつと快楽とが混じりあったところに立ちのぼる死の時間として言いあてたようだった。
死の時間ときいて浮かぶのは、ブロンテ姉妹の暮らしたハワースだ。訪れたことはないし、すこし写真で見たことのある程度の知識しかないけれど、ハワースには強烈な死の匂いが染みついているという印象がある。どこまでも灰色の重い雲が広がっていて、晴れ間が差しこむ隙間など数センチもない空のもとに、茶色やオリーブ色の石造の家がぽつりぽつりと立ちならんでいる。これはほんとうのハワースではないかもしれないけれど、『嵐が丘』を読んだりテシネの映画を見たりするなかで、「わたしの」ハワースとして育ててきた景色だった。
空が重いというだけで、死を思いうかべてしまう。わたしは北陸、なかでも金沢が好きでここ数年は毎年旅行で訪れているけれども、北陸の空は「空」という一文字で括ることが滑稽なほどに関東のそれよりずっと重い。福井の空を見ながら、関東から北陸に異動したひとの一部がうつ病になってしまうという話を聞いたのをいまでもよく覚えている。旅行で数日滞在するぶんにはいいけれど、たしかに関東の重力に慣れた人間が暮らせばぺしゃんこに潰されてしまうのは当然のことかもしれない。そんなことを考えながら東尋坊に行くと、重い空によって抑うつを発症したひとが身投げする物語を見出さずにはいられず、太陽が隠された空一面の灰色と死のイメージとが分かちがたく結びつけられてしまった。
次女エミリの死にゆきかたがあまりにも格好よくて、ブロンテ姉妹の住んだ土地と死とを結びつけてしまったのもあるかもしれない。エミリは医者の治療を拒み、結核を患ったのち家で亡くなった。だれに読まれることも想定しない詩を書きつづけたエミリの執筆にたいする姿勢も格好いい。生と死のあいだに境界を引かずに、そのグラデーションのなかに消えいるように死んでゆくのも格好いい(これはわたしの願望がつくりあげた偽のエミリ像かもしれない)。エミリの屹然とした死がハワースの荒涼には立ちこめている。
というわけでわたしは、死のロマンといえば海よりも空派だ。
2024.2.18(3-p.340)
ブルースカイというあたらしい分散型SNSを始めたため、サービス名に乗っかって青空の写真を投稿したくなっていた。頭上にスマホをかざしながら、もうこうやって空の写真を撮るのもひさしくやっていないように思う。今日の青は小学校のプールの水面を思いださせた。あの塩素の匂いに想起されるのは、プールサイドの日除けのしたで小さく座っている女の子たちの姿だ。なぜ彼女たちがプールに入れないのか、理由を理解してはいても、納得はできなかったし、いまだによくわかっていやしないのかもしれない。生理がこの世からなくなればいいのに、と思いながら空をよく見ると半分欠けた月が遠くに浮かんでいて、写真におさめるとその月はただ粗い半円に成りさがってしまった。
昨日、ブロンテ姉妹について適当なことを書いて載せたところ、テシネの映画が公開された当時のパンフレットを読ませていただくことができた。最近のパンフレットではなかなかみない、琥珀糖のような質感の遊び紙に描かれたウネウネ模様の向こうにブロンテ姉妹を演じる三人が透けて見える。彼女たちとわたしを隔てる白い靄としての遊び紙が、いかにもハワースらしくてすてきな装丁だった。
遠い未来、買いためた映画パンフレットに触れたとき、当時(つまりいま)の記憶がぶわあっと、それこそ紅茶に浸したマドレーヌの香りが鼻腔をついたときみたいによみがえってきたりするのだろうか。買うだけ買って読んでいない大量のパンフレットを発掘した未来のわたしはなにを思うのだろう。すくなくとも今日、むかしのパンフレットを見せてもらえたのがとてもうれしかったから、わたしも将来下の世代にパンフレットを見せられるくらいには買いあつめておきたいし、生きのびていたいと思った。
2024.2.19(3-p.357)
ひさしぶりに大学近辺を歩いていたら、ずっと気になっていた食パン屋が閉店していた。閉店の張り紙を見ると去年の九月、もう半年弱もこの辺りに来ていないとは思っていなかった。去年の後半は大学にこそ時たま顔を出していたものの、直行直帰分の体力しか持ちあわせていなかったから周辺を歩きまわりはしなかった。せっかく大学に入ったというのに、キャンパス周りのことをぜんぜん知らないというのはすこし空しかった。
わたしは二〇二〇年に大学に入学し、最初の二年間はほとんどずっとオンライン授業だった。それから半年間は対面授業が多いなかを通学してはいたけれど、慣れないキャンパスライフに摂食障害の悪化が重なり、大学周りの飲食店に並ぶ学生の列や学生会館でコンビニ弁当を食べる集団を見ては気分がくらくなった、わたしにはそれができないから。当時はどんどん暗いほうに気持ちが引っぱられていたけれども、いまはもう完治させようというきもちもなくなった。これからは病気との共存、わたしともそうだし周囲の人間ともそう、病気と人間の共存をめざしてゆくほうがよっぽど建設的だった。
早稲田松竹でニコラ・フィリベール。聾のひとびとを映したドキュメンタリー『音のない世界で』で、とある女性が語っていたことがかなり印象的だった。彼女は、通っていた聾学校の先生が全員健聴者だったことから、聾のひとはおとなになれないのではないか、聾は二十歳になったら死ぬのではないかという恐怖をおぼえたと言う。
わたしは健聴者ではあるけれど、この恐怖にはおぼえがあった。子どものころからわたしの取り囲んできたたとえば親戚のおとなたちは、みな異性のパートナーがいるか結婚しているかで、異性と恋愛をせずに成人として生きる道がずっと見えなかった。独身の親戚は、いたとしてもどこか難点があるから結婚できないんだと後ろ指をさされてばかりだった。だからこそロールモデルとしての「独身や未婚でもたのしそうなおとな」の存在は必要だし、いまはそういうふうになりたいと思っている。なにしてるのかよくわからないけど、なんかいつもたのしそうなおばさん、わたしはそれになりたい。
ちょうど今週はアロマンティック週間だった。自分のセクシュアリティのラベルを見つけるというよりも、共感できる語りを包摂するセクシュアリティ集団を個別に探していけたらいいのかなと最近は思っている。それがいくつかのセクシュアリティにまたがっていても当然構わないし、わたしもさまざまなセクシュアリティの語りに部分的な共感を寄せてばかりだった。クワロマンティックも共感できる語りのひとつだ。ひさしぶりに読んだ「クワロマンティック宣言――「恋愛的魅力」は意味をなさない!」はやっぱりよくて、友だち惚気ってすごくすてきな試みだと思う。友だちのことだって惚気ていいし、結果的にそれは恋愛至上主義をつき崩す一助になる。
2024.2.20(3-p.386)
地元の図書室で今月号のすばるに掲載されている井戸川射子「印象」を読むべく、開館とほぼ同時に入ったものの、すでに閲覧用のソファはほとんど満席だった。わたしの祖父母くらいの年齢のひとびとが思い思いの雑誌を読んでいる。若いひとはいたとしても、頭の重みで後ろに倒れてしまいそうな子どもの手を引いている女性ばかりで、独りの若い女は見かけなかった。井戸川射子の新作を読みに来た文学部の大学生が先にいたらどうしようなどと道中考えていたのは杞憂に終わった。
やっぱり井戸川さんの小説はすごい。友人のことばを借りると、毎回ものすごい制約を自分に課して書いているのだと思う。今回の「印象」は、(あまりの密度にくらくらして半分も読めなかったけれど)書かれた小説が他人に読まれるときにほぼ必然的に想定される登場人物のジェンダーをいかに薄めるかという試みがされている小説であるようだった。彼/彼女のような男女を示すことばを避けるだけでは成しえない、読みの可能性を広げながらもそこに在る感覚や感情は正確に掬いあげていくのがすごかった。脳内のイマジナリー友人たちが口々にすごいすごいと言っていた。
クラッカーにクリームチーズとブルーベリーのジャムを塗って食べた。ほんとうはメープルシロップをかけたかったのだけれど、家になかった。メープルシロップの常備は生活の質の向上に寄与するかもしれない。メープルシロップとはちみつはたぶん大切。
2024.2.21(3-p.400)
ジルベルトへの恋心を絶とうと決めた「私」は、それでも彼女が手紙をよこすのではないかという希望を捨てきれず、その希望が「諦めという途方もない大きさに思い至らないものを抹消してしまった」と語る。諦めることの困難は、恋から神経症へと接続される。
神経症の患者は、手紙を受けとったり新聞を読んだりせずベッドに横になっていれば少しずつ落ち着くと保証されても、それを信じることができない。そのような療法は神経症を募らせるだけと想いこむ。恋する者も似たようなもので、諦めとは対極の状態から諦めを見つめるだけで諦めを身をもって知らないから、そのありがたい効力を信じることができないのである。
――マルセル・プルースト『失われた時を求めて(3)花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』(岩波文庫)p.396-397
まさに諦めとは、諦めたあとにしかその価値を知ることができないから、いくら他人に諦めろと言われようが彼らは騙そうとしているとしか思えない。じぶんと摂食障害の関係もまたそうだった。いまだ完全に諦めの境地に辿りつけたわけではないけれど、治すことを諦めるか、もしくは生きることを諦めるかの二択でしかものを見られなかったころからするとよっぽど諦めの側に進めていると思う。一昨日、共存について書いたけれど、共存と諦めは近しいものなのかもしれない。
『いつかたこぶねになる日』を読みすすめる。「鳥が空をとんだところでその跡が宙に残らないことを知らない者はいない。だからこそ空をゆく鳥は、古来よりこの世への執着をきれいに断った解脱のシンボルだった」そうだ。白居易は「観幻」のなかで、この世はすべて幻であると無常をうたいながら、最後には空に見える鳥の飛んだ跡をうたう。
これには保坂和志「残響」を思いださずにはいられなかった。「空気中に拡散」した物質の軌道は「ただ人間の側に記憶という形で残るだけ」で、けっきょく記録されえない軌道は「外観から、それが経てきただろういくつかの軌道の可能性を想定」されることでしか見出されないと保坂は書く。
ぼうっとしていれば見逃してしまうような痕跡や、ないはずの鳥の軌跡がうっすらと浮かぶ空が世界には満ちあふれている。そういう「ないもの」に想いを馳せられるだけの想像力を養う練習が、小説を読むという営為の一側面なのかもしれなかった。
2024.2.22(3-p.406)
アゴタ・クリストフ『昨日』を聴きながら歩いていた。すこしあたたかくなってきてダウンを片してしまおうと思ったところに急激な寒波で、油断していたわたしは薄着のうえに傘を持ってくるのを忘れた(というか雨が降るかもしれないのは知っていたけれど、自分が外に出るからには止んでくれるだろうという傲慢と怠惰によって持っていかなかった)ものだから、小雨にヘッドホンを濡らしながら歩く羽目になった。
「人はただの人になることで初めて、物書きになれる」という一文に、ついホッファーを思い出す。豊かな教養や文学の知識のうえに書くこと、そして書かれた文章が折り重なっているのはたしかかもしれない。けれど文学の根にはやはり生活があり、生活のための労働があり、上澄みだけでは語れない泥まみれの生がある。人間くささを固めた文章を書きつらねては消し、最終的にそこにはなにも残らなかったとしても、それぞれの瞬間につづけた「書く」時間が嘘になることはなくて、過去の「書く(書いた)」が折に触れていまの「書く」として蘇ってくるかもしれない。書きつづける未来を信じると同時に、書くのをやめた未来もまた素晴らしいと思う。
2024.2.23(4-p.25)
そもそも「プルーストを読む生活を読む生活」として書きはじめた日記なのに、プルースト本体を読むばかりで『プルーストを読む生活』のほうの進みがすこぶるわるい。いまや「私」はジルベルトになんて会わないぞと決めたけれどやっぱり会いたくて、けれど意地を張って会わないように気を配って行動し、いつか彼女が会いに来てくれる日や手紙を送ってくれる日を想像しながら、そんなことは起こりえないことは理解していて、みたいな局面にいるのだけれど、柿内さんの日記はいまだスワンが行ったり来たりの恋をしているところに、大学生のころの恥ずかしい恋愛を思いだしてつらくなっている。「スワンの恋」に引きだされる恋愛の思い出っていったいどんなものなのだろうとすこし気になると同時に、まるで未知の生命体でも見るかのようにスワンを読んでいたわたしとはまったく違う余波を喰らっているのがおもしろかった。
第一、柿内さんは全十巻のちくま文庫を読んでいるのに対して、わたしは全十四巻の岩波文庫でプルーストを読んでいるから、ページ数がまったく当てにならない。はじめのうちはおなじものを一緒に読む並走感を感じていたけれど、いまとなっては三〇センチは身長差のあるふたりで二人三脚でもしているかというほどにガタガタしている。とはいえ柿内さんのプルーストとわたしのプルーストとのあいだに生まれた時間の空白にも、それから柿内さんが読んでいた二〇一八年といま二〇二四年の幅にも、どこか趣があって良いとも感じていた。
昔の友人についていま関わっているひとに話すことが時おりあって、そういうときに旧友たちをすっかり過去のものとして話してしまうことに悲しさを覚えることが幾度かあった。そんなどうしようもない悲しみがつぎの二文によって掘りおこされ、増幅させられた。
つねに生きているもの、そうでなくても再生する可能性があるものとして心ならずも考えつづけてきた恋のことを過去形で、すでにほとんど忘れ去られた死者のことのように語っているのに気づいたからである。もはや会おうとしない友人同士のこのような文通ほど、優しさに満ちたものはない。
――マルセル・プルースト『失われた時を求めて(3)花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』(岩波文庫)p.442-443
もはや会おうとしない友人とどうでもいいラインをして、もはや会おうとしない中学のクラスメイトとインスタのDMで互いの最近について話す。チャットは送りあっても予定を合わせて会おうというほどの関心と気力はない程度のやりとりだった。とはいえひとに会うと疲弊してしまういまのわたしとしてはこれくらいでちょうどいいし、いまはいまとして現在形で語れる生者の友人がいる。いまの生者と関わりあいながら、ようやく思いだされた死者と電波に乗せたことばを交わす、現在にも過去にも定住しきれてはいないけれど、そのあいだをふらふらとさまようしかなかった。
2024.2.24(4-p.69)
小説なんて読んだってなんの役にも立たないと腐すのもいやだけれど、小説を読んでいるからといって感情の機微や著者の伝えたいことを読みとれるようになるわけでもない。わたしがすこしばかりの小説を読んできて知ったことといえば、人間の記憶は脆弱で、ひとりの人間が時を隔てて語りなおすだけでそこに在ったはずの出来事はまるで異なったものに姿を変えること、はたまたそれが複数の別の人間に語られるともなればいっそう絶対的なできごとなど存在しないということ、くらいである。けっきょくなにもわからないし、なにも覚えていられないし、他人と完全に感情を共有することはできないし、つねにわたしたちを囲う「わからなさ」の存在に気づきはしてもそれをどうにかすることはできない。ほんとうに生活も小説もどうしようもなかった。
本をあまり読まないひとからすると、読書家=頭が良いとか物知りとか思われがちで、実際そういうことばを幾度も向けられてきた。けれども内実は、本を読んでは「わからなさ」に衝突して、わからないわからないと虚空に向かって呟いているだけだ。読書家とは「わからなさ」愛好家であり、わからないことに快感を覚えてしまう人間たちを指すのだと思う。
そういう読書がもたらす快い「わからなさ」について、ふだんあまり本を読まないひとにたいして実生活と結びつけて説明しようと試みたのだけれど、「わからない」をループするだけになってしまいそうで、けっきょくうまい一言目が出てこずに話すことはできなかった。とはいえぼんやりとそういうことに考えをめぐらすことができたことは貴重な経験だった。
滝口悠生と松原俊太郎の往復書簡を、もったいないからとすこしずつ齧るように読んでいる。そこでは滝口悠生が「わかりにくさ」について深く言及している。
たしかに僕の作中では時系列は結構激しく行ったり来たりするのですが、基本的には安定した時間軸上で行き来しているだけで(だから時系列に整理し直すことはできるはずです、しないけど)、時間そのものを揺るがすようなことをしているわけではないんですね。どちらかというと、人が何かを思い出したり、語ったりする時に、その人のなかで時間や空間が均衡を崩す、ということに昔から興味があります。なので、事実性や整合性という意味でのリアリティよりも、人間はわりといい加減な感覚であるというリアリティの方をとる、という態度で書いています。そして、それを書くために、ベースとなる時空間をある程度安定させている、ということなのかもしれません。
――滝口悠生 往復書簡「小説↔演劇解体計画」(2) 小説と戯曲の「声」について
「いい加減な感覚であるというリアリティ」、的確ですごくいい表現だと思う。というかわたしは感性の多くを滝口悠生で養ったところがたぶんにあるから、滝口悠生の文章にふかく共感し揺さぶられるのは、ある意味帰郷のようなもので当然のことではあるのだけれど、それでもやはり唸ってしまう。正確な俊敏なリアルばかりが求められるいまにこそ元来いい加減であったはずの記憶や語りを思いだすべく、滝口悠生の小説を読むことは生活に欠かせなかった。
昨日からプルーストは四巻目に入った。三巻までと比べると一気に分厚くなり、支える左手の小指と薬指に違和感があるほどだった。二〇一九年一月二日の柿内さんの日記に「年が改まることよりも毎日読んで手になじんでいた文庫の厚さや重さが変わるほうが、なんというか改まった! という感じがすごい」と書かれているのに、思わず「わかる!」と叫びたくなる。もはやカレンダーよりもプルーストのほうが暦だった。
2024.2.25(4-p.106)
本は、読んだときの感触やこころの揺れを通じて自分自身の精神状態を教えてくれるバロメーターになりうるし、わたしの場合はすぐに本が読めなくなってしまうから、そうなると自分が落ちはじめていると知ることができる。プルーストと『哀れなるものたち』を足のうえには置いているものの、ひらくことすらできなかったのが今日の帰りの電車だった。
『三人が苦手』というZINEがあるけれど(いつか買おうと思っているうちに売りきれてしまった)、わたしは「三人以上が苦手」である。自分が百喋るか、一言も話さず聞きに徹するかに終わってしまい、適度に話して聞くというのがどうにもむずかしい。それにどういう人数であれ会話の積みかさねの先にはそのひとらのあいだだけで通じる独自の言語が生まれるわけだけれど、その言語が「わたしたち」とそれ以外のあいだに引く太い境界線がわたしにはどうしてもおそろしかった。だれが聴いてもわかるラジオやポッドキャストのように話したい。不特定多数に向けたことばで話したい。いちいち説明を重ねたい。一部の人間にしかわからない言語で疎外するのもされるのもこわくて、三人以上の会話は避けてしまう。
三人以上がたくさんいて、それぞれの独自の言語が飛びかう大学という空間がいまだに苦手だ。居場所がわからず空いているトイレの個室でぼうっとしていた記憶がよりいっそうおそれを増しているのかもしれないけれど、やっぱり大学そのものが苦手だった。今日もけっきょく大学には行けずにおり返して帰ってきてしまった。体調もぐずぐずだ。心理士さんにも親にも、消耗するとわかっていることを無理にやることはないと何度も言われてはいるけれども、ほかのひとはこんなことで消耗していない(ようにすくなくともわたしには見える)。数日前から「無理はしないで」と言ってくれていたおとなを無視した祟りか、ぐったりと疲弊しきっていた。
2024.2.26(4-p.123)
この日記をつけはじめてから、その日あったことよりも思索のうろうろのほうを書く割合が増えてきた気がする。柿内さんの日記もそうだし、柿内さんが読んでいるというエリック・ホッファーの『波止場日記』もそうで、わたしはそのふたつを並行して――そしてある種多層的に――読んでいるのだけれど、実際のできごとが書かれているわけではないのに、そこに残された文章からは生活者の息遣いがはっきり聞こえてくるのだった。そういう生きかた/書きかたに惹かれるし、彼らの文章を読んでいるうちにわたしの文体もそちら側に引きよせられていっている(とすくなくともそう信じたかった)。
正直に言って日記に書くことがないと思う日は多い。日記に書くことがないということだけでページを埋める日も多く、たとえば今日も卒論に使えそうな本を読んで、小説を書いて好きな映画を見て、買いものついでの散歩では庄野潤三『エイヴォン記』を聴いているだけで、特段なにをしたというわけでもなくなにを考えたというわけでもなかった。
むろん本や映画から感じたことはあったけれども、それを日記に書くのもなんだか気が引けてしまうというか、べつにその日見た映画の話を書いてもいいのだけれど、できればそれを「映画そのものの話」ではなくて「その映画を見たわたしの話」として書きのこしたい想いがあった。そうすると、「その映画を見たわたし」が立ちあらわれてくるまでにある程度の時間が必要となり、その日のうちには書けなくなってしまう。そうこうしているうちに思考は生活と時間に押しながされて、その映画の記憶はどこか遠くに漂流している。そんなこんなで本や映画の話は日記に書きのこされずじまいだった、というかすくなくとも今日はただ読む・見るという行為を実践しただけで、ことばと映像とを「わたし」という無機質なフィルターにかけただけだった。
フィルターを通りすぎていったことばやショットたちが、いつかわたしのなかで芽生えてきたら、そのときにまた日記としてなにかを書けたらよくて、今日はまだただの種蒔きだった。
2024.2.27(4-p.157)
日記っていったいなんなんだろうと思う。定期的に疑問に思っている。というのも柿内さんが日記のストックをつくったり未来の日記を書いていたりするからであって、むかし日記迷子になってしまったときに荒川洋治の『日記をつける』なんて読んだはずだよなあと思い返しながらも、肝心の本の内容はまったく思いだせなかった。どこかに感想を書きのこしていないだろうかとNotionを検索してみても見当たらず、けっきょく自分がむかし書いた日記を読んでたのしくなってしまった。自分の書いた文章には、自分の読みたいことが書かれているからやっぱりおもしろくて、書くことは自分に向けられているのだと改めて実感する。
以下は一年くらい前に書いた日記である。当時は日記を書くことを、だれかと一緒に住むことと同質だと考えていたらしい。
*
だれかと一緒に暮らすということは、スターバックスでバタースコッチドーナツを頼んだけれど、店員さんがトレーにのせたのはシュガードーナツで、でも別にシュガードーナツも美味しいのでこのままでも良くて、しかしお会計はバタースコッチドーナツの金額になっていて、でもこれは友達がくれたスターバックスのフードチケットで買ったものなのでお会計金額はそんなに関係なくて……みたいなほんとうにどうでもいいことを、別にいいんだけど一応だれかに話しておきたいことを、家に帰ってすぐ話せるということです。
――小原晩『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』p.76
届いたばかりのzineをめくっているときにこの文章が目について、ここに書かれている「店員さん」はわたしかもしれない、と背筋が冷えた。小原さんのようにミスに気づいてはいるけれど指摘はしないお客さんがきっとたくさんいるのだから、なかったこととして葬られたわたしのミスは数えきれないほどあるのだろう。
わたしには一緒に住んでいる家族がいるけれど、こういうどうでもいいことを話す気にはどうしてもなれない。きっと「店員さんのミスなら言えばいいのに」と正論を顔面に投げつけられて、あたふたして終わるだけだからだ。だからわたしにとってこの手のどうでもいいことは、だれかに話すのではなく、日記に書きつけることで昇華されていた。小原さんにとっての「だれかと一緒に住む」ということの楽しさは、わたしにとって「日記を書く」ことと同質なのかもしれない。「ほんとうにどうでもいいことを、別にいいんだけど一応だれかに話しておきたいこと」を日記はいつでも受けとめてくれる。だれかと生きる生活も、日記と生きる生活も、きっとおなじくらいうつくしくてたのしいものなのだと思う。
*
2024.2.28(4-p.177)
書くということはなんであれ暴力をはらんでいる。日記を書くことだって、伸縮する時間を生きたわたしが知覚したあれやこれやを恣意的にもしくは無意識下で組みたてなおしているのだから、その時間を生きるわたしからすれば侮辱的なほど改ざんされていることだってあるかもしれない。とはいえ当時のわたしはもうすでに声も意識も失っているわけだから、あとはもう寝るだけという夜のわたしが当時のわたしの声を借りて、代弁するのである。それを代弁ともいえるし、声の収奪ともいえる。
連日過去の日記を長々と引用するのもなんなのだけれど、改めて書くことについて考えていたときに、一年ほど前に書いた自分の日記を思い出した。この日は日記を建築として語っている。
*
わたしにとっての日記は、出来事や感情を書き記すものではなくて、それらを一歩引いた場所から、またすこし先の未来からふり返って見つめ直したものである。そう考えたときに、日記とは「日を記す」ものというよりも「日を建てる」といったほうが正しいような気がしてきた。出来事や感情という素材と自分との距離を計りなおし、感情が屈折するレンズを取り替える。その時間に存在したはずの思いを、さまざまな場所からさまざまなレンズで見つめることで、それは一度分解されたうえで新たなかたちを手に入れ、それらの集積として「日」が組みあがる。事実とは異なっているかもしれないけれど、わたしの「日」はそうやって日記のなかに建てられてゆく、なんだか建築みたいだと思うのだ。
ジェームス・ポルシェックという建築家は、建築を癒しの芸術として捉え、建築家という職業はその力によって人々を癒す責任がある、と考えた。わたしはこれをコゴナダ監督の『コロンバス』という映画で知ったのだけれど、日記のありかたについて思いをめぐらせているとき、ふと彼の建築哲学を思いだしたのだ。日記もまた、癒しの芸術であり、癒しの文学である、とわたしは思う。そこにはさまざまな角度で屈折した感情が、さまざまなトーンの声たちによって語られ響きあっている。その反響によってかたちづくられた日記は、日中のあいだひとつに凝りかためられたわたしの声を「書く」という行為を通して多層化し、読み返すころにはまるでモダニズム建築を見あげるときのような新鮮さをもってわたしを迎えいれる。わたしの一日はこんなかたちをした建築物だったのか、と驚くこともあり、それは書かなければ気づけなかったことでもある。日記は生活に流れた時間を、そこにあったはずの感情を、それをふり返る視点を、ひとつに掬いあげて、癒す。さまざまな要素の混成物としての日記は、時おり奇妙に、そして時おりとびきり美しい形態で、わたしの前に建ちあがるのだ。
日を建てる行為にも、建てられたそれをじっと見つめる時間にも、癒しが漂っていて、わたしはそれが大好きだ。だから日記を書くのをやめたくはないし、たまにはこうして公開して、だれかが読んでくれたら、また新しい建築として発見してもらえるような気がしている。
*
プルーストは『サント゠ブーヴに反論する』で、批評家の方法は「作家と面識のあった人々を訪ねて、健在ならじかに話を聞き、亡くなっている場合は作家について書き残してくれたものを読むこと、およそそうしたところに成り立っている。私たちが多少とも深くおのれ自身とつきあってみれば、すぐに分ることをこの方法は認めようとしない。つまり一冊の書物は、私たちがふだんの習慣、交際、さまざまな癖などに露呈させているのとは、はっきり違ったもうひとつの自我の所産なのだ」と書いた(これは明らかに孫引きだけれど、柿内さんもやっていたので許してほしい)。ここに書かれた日記はわたしの性質を正しく表出しないし、この日記はわたしの一部でもない。けれどもわたしをわたしとして保つには、こういう日記を書いていないといけないわけで、日記とわたしの関係は思った以上に複雑だった。
2024.2.29(4-p.208)
滝口悠生が、松原俊太郎との往復書簡のなかでこんなことを言っていた。
日が変われば文章も変わる、という日記としては当たり前のことをやっているわけですが、これは公開される「前提」で書かれる日記がしばしば「形式」を整えたがる(これは先生に「提出」することを「前提」とした夏休みの宿題とかの悪影響のようにも思うのですが)ことへの抵抗を示しているようにも思えます。
わたしの文章も日を経るごとに、プルーストや柿内さんから影響を受けてじわじわと変貌を遂げていることを自分自身でも感じるし、もっとミクロな視点で見ればその日の天気や湿度、犬の機嫌、ラジオ体操をしたときの身体の動きの幅(だとかえらそうに書いているけれど、ラジオ体操を始めたのは昨日からである)、スマホの充電残量(今日はケーブルに刺し忘れたから起きたとき三〇パーセントしかなかった)、とかそういうものに逐一影響を受けて毎日違った文体で書いているのだろう。
『失われた時を求めて』の「私」は、ジルベルトを愛した日々から二年が経ちバルベックへと発った。それでも時おり「私」の心はジルベルトのいた日々に引きもどされ、そのたびにもう彼女に会えないことを苦しく思っていた。とはいえその「苦痛と恋心のぶり返し」も長くは続かなかった。というのも、
今回はふだんと違ってバルベックにいたせいで、そこにこの感情を存続させる昔の「習慣」が存在しなかったからである。こうしてみると「習慣」がもたらす時々の結果には相互に矛盾があるように見えるが、習慣とは多様な法則にしたがうものだ。パリで私がしだいにジルベルトに無関心になったのは、「習慣」のおかげである。私がバルベックに出発したときは、習慣の変化、つまり「習慣」の一時的停止が「習慣」の仕事を完成させた。「習慣」は、事態を弱め、それを安定させて風化をもたらすが、それをいつまでも持続させる。私は、何年も前から毎日、前日の精神状態をなんとかその日の精神状態に敷き写して暮らしてきた。ところがバルベックでは、ベッドが新しくなり、朝になるとそのわきにパリとは異なる朝食が運ばれてくるので、ジルベルトへの恋心を育んだもの想いを維持することなどもはやできるはずもなかった。
――マルセル・プルースト『失われた時を求めて(4)花咲く乙女たちのかげに Ⅱ』(岩波文庫)p.28
というのだ。わたしたちの一日は毎日おなじ布団から始まり、おなじ布団に終わる。布団という細い糸が、昨日を今日へと、今日を明日へと、つないでいってくれる。すくなくともおなじ土地でおなじ布団で眠るかぎりは、日々にはゆるい連続性が当然のことながらある。それでも眠ることによって、そして日々の雑務をこなすことによって、毎日書きかたや文体が変わってくるというのはとてもおもしろい。連続性と断絶性のあいだでぶら下がっているのが日記なのかもしれない。
軽い気持ちで「文体」ということばをこの日記でも使ってしまったけれど、滝口悠生はあまり文体ということばを使わないようにしているらしい。「なぜなら文体というのはそれだけだと何のことなのかよくわからない。全体にも個別にも、具体にも抽象にも使え、文体が云々、という言い方をするとむしろ言わんとすることがよくわからなくなるように思うから。」
文の体。文章の身体。文章の有り様は、宛先によって微妙に変わるものなのかもしれず、しばしば「文体」が発信元(書き手にしろ、語り手にしろ)の技術や創造性、あるいは独自性のように言われるのとは逆に、「文体」とは宛先なのではないか。語り手と宛先の隔たり方。それによって自ずと、もしかしたら仕方なく、要請され、受け入れた形。
「文体」が書き手(の読んだものや書いたものの蓄積)によって醸成されるものではなく、宛先であるという考えかたはあまりにも自分になかったものなので驚く。だれに/どこに宛てるかによって変わらざるをえなくなるのが「文体」? とはいえわたしはミーハーな滝口フォロワーなので内実のわからぬ「文体」ということばを使うのはやめようと決めた。