『東京の生活史』(筑摩書房)の流通に関する経緯報告
先日の『東京の生活史』の流通に関する当店の問題提起に対して、版元の筑摩書房さん並びに取次を担当した子どもの文化普及協会さんより、丁寧な経緯説明をいただきました。以下はその報告と、それを受けての再度の意見表明です。
※本来ならば10/5に開催された「独立系書店の新刊予約また既刊本の《これからの》流通を語る討論会」の前に公開したかったのですが、諸々あって間に合わずでした。この報告書ではイベント内で議論されたものに関してはあまり触れません。アーカイブも公開されているようなので、そちらでご確認ください。↓
まず、SNS上での問題提起というある種の強制力のある手法で問題提起をしたにもかかわらず、早急かつ真剣に対応をしていただいた筑摩さん並びに子どもの文化さんに感謝を申し上げます。この「注文した本が満数入らない」という類の問題は、その詳細に様々なバリエーションがあるとはいえ出版業界の長年の課題だと考えています。その解決の1歩にしたい、というこちら側の思いに真っ当に向き合ってくれました。おかげで(1版元/1取次のみの事例とはいえ)内情を知ることができ、書店側のひとりとして疑問に思っていたことが(すべてとは言わずとも)解消することができました。基本的に、版元—取次—書店(—読者)間に「ブラックボックス」的なものが多く存在しているが故に相互不信が生まれてしまっている、というのが僕のなかにはあり、そういった意味でも今回の件は非常に意味のあるものになったと思っています。なので、できるかぎり詳細に、ここでも内情を公開していくことで、業界全体の事例=問題解決のための参考資料にしていけたらと思います。
1. 経緯
細かい数字などは非公開としますが、筑摩—子どもの文化(以下、敬称略とします)間でおこなった事実関係の調査結果を列記します。
・『東京の生活史』の元々の刊行日は8/19だった
・7月中旬に子どもの文化は筑摩に対して発注をおこない、筑摩は「確約はできないが可能な限り対応する」と返答
※筑摩はこの対応を子どもの文化に対してのみではなく、すべての書店にしている→『東京の生活史』に限らず、新刊事前注文をあくまでも「希望数」として受注しているため
・8月中旬に製作上の問題が発覚したため刊行を9/17に延期(その旨を筑摩は子どもの文化へも報告している)
・1200ページ超の大部で(通常の本のような造本ではないので)、刊行が1ヶ月延びたが初版部数の変更はできないことになっていた
・9月上旬に子どもの文化は再度発注をかけたが、7月中旬の発注時より約2倍の注文数になったため筑摩に相談
・この時点で筑摩は事前注文への満数出荷に対応できない状態になっていたため、減数調整をすることになった
・この減数は子どもの文化のみならず、すべての書店(取次)を対象におこなっている(=客注分優先で出荷、の対応を全書店(取次)に対しておこなった)
※筑摩は客注に対する減数はしない姿勢を常にとっている、とのこと
・そのため、筑摩は子どもの文化に対して「発注の内訳=どれが客注でどれが店頭分か」の確認を求めた
・が、子どもの文化は「買い切り」という取引の形態上、普段から店頭/客注の区別をしていなかったため詳細はわからず、「買い切りなので減数はしないでほしい」という依頼をするだけにとどまった
・その後、両者協議の結果、7月中旬の発注分は満数出荷とし、9月上旬発注の増数分は減数の検討対象となった。また、9/18にTV放映もあり、客注もその際に増える可能性もあることから、放送後の反響を把握した9/21〜22に9月上旬発注分の出荷数を確定することも決定(このときの結果を受けて、子どもの文化より各書店に納品数変更と出荷できない分は保留扱いにする旨の連絡が来ている。当店は9/17の夕方。当店の問題提起の投稿はその夜)
・問題提起を受けて、9/21に再度両者協議。不足している客注分の詳細も判明したため、子どもの文化はその冊数を筑摩に報告。それを反映した数が初回入荷分として子どもの文化に24日に入荷(各書店にも発送)。残りの不足分(=店頭分)についても9/25納品で出庫手配
・今後は事前注文の明細を両社間で共有するオペレーションをとることで同様事例が生じないようにする、ということで合意
という経緯になっています。当店からの視点を交えて、少しポイントをまとめます。
・筑摩は新刊の事前注文をあくまでも希望数としてとっている=確約ではない
・筑摩はこれまで客注への減数はしていない
→筑摩は人文科学系の版元で、いわゆる「予想を上回る(特に短期集中型の)注文殺到」というのは基本的には起こりにくい。よって「事前注文を希望数で受ける」というやり方でも、刷り部数を受注数が上回るということはレアケースだった。が、今回の『東京の生活史』に関しては非常に反響が大きく、書店からの受注数が急速に刷り部数に迫ってしまったこと(この背景には刊行延期によって事前注文期間が延びたこと、しかし資材確保等の面で初版部数の変更ができなかった点も挙げられる)、そして筑摩—子どもの文化間での「客注か店頭か」の情報共有が正確になされていなかったことが重なり、書店にとっては予期せぬ減数が生じてしまった。
・子どもの文化は書店からの注文の「客注か店頭か」を正確には把握していなかった
→もちろんこれはどの取次にも言えることである。なぜなら書店が「店頭分を客注だと偽って発注する」ことはよくあることなので(よってこの点に関しては、取次や版元は「客注か店頭かを正確に把握できてなかったこと」についての責任はない。両者は書店からの注文内容を信じるしかないので)。また、子どもの文化の発注システムには備考欄があるためそこに客注名を記入することはできるが、すべての書店が常にそこに記入しているわけではない。さらに、「買い切りだから減数対象にはならない」というこれまでの経験則もあって、筑摩に対して注文明細の提出ができないまま進んでしまった。
つまり、複数の「イレギュラー」の重なりによって起きた事象だったのだと考えられます。ある意味では、筑摩の「買い切りであろうと委託であろうと、まずは客注最優先」という誠実さ、そして子どもの文化の「店頭か客注かが正確にわからない」と誠実に回答したことが招いた悲劇であったとも言えます。
※こちらの文書の作成中に子どもの文化さんより今後の方針についての追加報告がありましたので、ここでその件についても掲載しておきます。
・これまで筑摩—子どもの文化間では発売前の予約発注に関しては「発売後・在庫出来後に」子どもの文化から発注をしていた
・今後は、新刊や重版中の本については発売・在庫出来の一定期間前に予約発注を受け付ける仕組みにする
・また、『東京の生活史』のように人気商品などで大量の注文が来た場合は、両社で基準を設けて連絡をし合うようにする
とのことでした。
とはいえこれは取次—版元間の情報共有の連携不足だけが原因の問題ではないと思います。つまり『東京の生活史』だけにしか起こり得ない事象でもないですし、筑摩—子どもの文化間のみに起こりうる事象でもないと思うので、ここからさらに敷衍していこうと思います。
※また、筑摩並びに子どもの文化の問題点についてはほかにも思い浮かぶかもしれませんが、それは本筋とはズレるのでここでは追求しません。例えば筑摩に対しては「初版部数の見込みが甘いだけ」とか、子どもの文化に対しては「超話題商品なのだからもっと丁寧に仕入れをすべきだった」とか。ですが、それらの批判はどの版元/取次(/書店)に対しても言えることですし、ここでそれを言っても単に鬱憤晴らしにしかならないので。「お前が言うな」と思う人もいるでしょうが、僕は元から「業界全体にずっとあった問題を解決したい」から問題提起をしたのであって、それがたまたま筑摩と子どもの文化だったというだけです。むしろこのように真っ当に向き合ってもらえて感謝していますし、名指しで批判したことで矢面に立たせてしまった面もあるので、これを3者にとっていい機会=結果にするために、この検証結果を役立てていきたいです。ということで第2部はそのためのものです。
2. 検証結果を受けて、業界全体として今後どのような対策が可能か
業界全体の改善すべき問題としてここからは捉え直して話を進めていきます。おそらく今回の件の論点は、
・新刊受注数の確定=初版部数の確定の難しさ
・客注なのか店頭分なのかの判別の難しさ
の2点に集約されると思います。そして後者は前者の決定要因にもなるため、ある意味では同じ論点とも言えます。
客注なのか店頭分なのか。これがこの業界の淀みの根本なのではないか、というくらいに僕は思っています。少なくとも原因のひとつにはなっているかと。出版業界ではずっとこの「不毛な化かしあい」が続いています。書店は減数を見越して必要以上の冊数を注文する/客注と偽って発注する、版元あるいは取次はそれを見越して減数をする。もちろんこの問題は版元が「必ず満数出荷します」と宣言すれば基本的には解決するわけですが、とはいえそんな簡単な問題でもないわけです。トンチンカンな発注をしてきた書店に対しても満数入れていたら、のちに大量の返品がやってくるのは目に見えているからです(その返品コストを担うのは取次でもある)。なので個人的にはトランスビューの注文出荷制(詳細後述)が現時点でのベター解だと思っていますが、それをすべての版元に求めることは不可能なわけで、となるとさらなるベター解を考えないといけないわけです。
そして常に被害者となるのは「正直者」です。今回の件についても、子どもの文化は正直に「客注か店頭分かわからない」と伝えたため、減数の対象となったのかもしれません(これ以上相互不信を強めるつもりはないので、ほかの取次や書店がどのように筑摩に受注をしたかについては問いませんが、子どもの文化以外が正確に客注/店頭分を把握していたとは考えられないのも事実です)。あるいは、馬鹿正直に書店からの発注に応えていたら返品地獄になってしまう版元、というのもあるかと。
ということで、正直者が得をする、あるいは正直に戦いあう環境を作りたいわけです(トランスビューの工藤さんが似たようなことを言っていて、それがまさにトランスビュー方式の原点でもあります。つまりこれは受け売りですが)。ならばどうするか。現状でのベター解、つまり「現実を踏まえながら漸進する」ようなやり方は何か。具体的に言うならば、ある程度の不毛な化かしあいを受け入れつつ、それを少しずつ「正直な戦い」にしていけるような環境=仕組みを作る、ということです。この仕組みがうまく回っていくようになれば、あるいはその成功経験を積み重ねていくことで、徐々に不毛な化かしあいに意味がなくなっていって、それをやる人が0ではなくとも極小になっていく、そういう仕組みです。それを考えると、現状思いつくのは以下のものになります。
・新刊事前注文のガイドラインのようなものを作る
筑摩/子どもの文化の各担当さんとお話をしたときも、後半は主にこれ関連の話をしていました。新刊の事前注文をいつまでにすれば、その発注数は満数出荷するよ。というようなガイドラインを、もちろん例外が生じてしまうのは承知のうえ、ある程度のものを業界水準として設定してもいいんじゃないか、ということです。
現状、新刊情報はJPROという書誌情報を管理している団体に登録をすると、そこが各取次やネット書店などへその情報を流してくれるようになっています。筑摩の場合は基本的に刊行日の2ヶ月前を目安に、その登録をしているそうです。仮に『東京の生活史』を例に出して考えると、たとえば、
・刊行日→9/17(最終的な刊行日に設定します)
・JPROへの登録→7/17(数日以内に各取次やネット書店に情報掲載)
→書店が新刊の情報をキャッチできるようになる=取次または版元に事前発注が可能になる(読者も予約が可能になる。Amazonに掲載されるのもこのタイミング)
となるはずです。ここでは大雑把にしか説明しませんが、だいたいこうなるわけです。であれば、たとえば刊行日1ヶ月前の8/17を「締切日」として、そこまでの注文はすべて満数出荷します、というのを「基本姿勢」とすることを業界水準にする、みたいなこともできるのではないでしょうか。もちろんこれに強い強制力を持たせたいわけではなく、可能なかぎりこの流れに乗せるように各登場人物(版元から読者まで)が意識する、というくらいのものです。現状、僕がイメージできることはこれくらいなのですが、これだけでもけっこう変わるのではないかと思います。
すべての本をそうしよう、とまではいかなくてもいいと思います。たとえば「これは売るぞ!」と版元が思っている本からその経験を積んでいくこともできるでしょう。これは結果としてみんながハッピーになるものだとも思います。版元は1ヶ月前(おそらく印刷会社への発注部数もこのあたりなら概ね変更可能なはず)に無駄のない初版部数を決定できる、書店は事前予約&店頭分を自店に適した数で仕入れられる、取次は過剰な送品&返品によるコスト増の懸念が減る、読者は楽しみだからこそ予約した本が発売日に手に入る。
で、これの鍵になるのが新刊情報を網羅的にゲットできるシステムの存在で、たとえばBooksPROがいまのところその役割を担うのに最適かと思います。このサイトは前述のJPROと連携しているので、JPROに登録された本の書誌情報は確実に掲載されています。なので、書店員がBooksPROを活用して新刊情報をゲットして発注、版元や取次がそれを把握、という流れが確立されればいいのではないかと。
もちろんBooksPROもまだ完璧ではなくて、たとえば書店共有マスタを持たない書店(つまり多くの独立系/個人書店)は利用ができません。また、徐々にその仕組みができていってるとはいえ、BooksPRO(経由)で発注ができる版元は多くありません。そもそも掲載されてない版元もあります(ということはJPROにも登録してない?)。そして発売日ギリギリになって登録をする版元もある。だからまだまだ途上ではあるのですが、非常に未来のあるシステムだと思っています。なので、
・版元は可能な限りはやく書誌情報をBooksPROに載せる
・書店はBooksPROを活用して可能な限りはやく版元あるいは取次に発注する(かつ適正数の見極めができるようになる)
というのを意識してもらいたいです。そしてBooksPROの運営側には、書店共有マスタなしでも使えるようにして欲しい、ということを強く要求しておきます。大取次との契約がない、いわゆる「通常ルート」から外れている書店は、本そのものの調達はもちろんのこと、新刊情報の調達もまた一苦労です。版元からの郵送での案内もFAXも、基本的には皆無です。なので、一律に新刊(既刊も含む)情報が見れるサイトは非常にありがたいのです。新刊を事前発注することへのハードルがどの書店にとっても低くなれば、その分「書店の店頭に並ぶ本」は増えるはずです。売れない=面白くないと判断されたからではなく、単に「存在に気づかれてなかっただけ」で並んでいなかった本がたくさんあります。
※どうやら版元ドットコムサイト内でBooksPROと同様の仕組みが構築されているようです。共有マスタのない本屋は、とりあえずこれを利用するといいかもしれません。
ということで、みんながハッピーになる仕組み=環境を少しずつ整えていきたいです。大きい仕組みを変えるのにも、まずはひとりひとりの小さな意識の変革からです。どうせ変わらない、はもうやめましょう。あと、自分さえよければ、も。
※トランスビュー方式について簡単に
トランスビュー並びにトランスビューが扱っている版元の本は、基本的に取次を通さない「直接取引」で書店に納品されます。掛け率は70%。1冊から注文可能で、送料と振込手数料は版元負担。品切れや重版待ちの場合などを除き、必ず満数出荷。いわゆる配本はなく、書店からの注文がなければ書店には納品されません。取次経由での納品も可能ですが、買い切り返品不可(掛け率は取次と書店での間の契約によるので、概ね70%後半かと)。直接取引の場合は返品は随時可能、ただし返品送料は書店負担。そしてこの返品時の送料は書店負担(=送料は常に元払い)、というのがポイントで、版元は書店の発注に対してきちんと応える=即時満数出荷&送料負担、書店は自分の発注に対して責任を持つ=返品送料を負担する、という両者の相互的な責任/信頼関係が前提となっているシステムと言えます。この感覚を、すべての業界関係者の間で持てるようにしたいわけです。