社会の当たり前が自分と相入れない時、いつも、世界とはぐれてしまった気分になる。どうして馴染めないんだろう。一人違う場所に迷いこんでしまったみたいに心許ない。そんな時に寄り添ってくれたのが、自分とは異なる形で世界とはぐれた人が出てくる本や映画だった。そんな作品と一緒に社会の規範について考え、抵抗していくエッセイ。
「最近、迷惑かけちゃってごめんね」
ある日、会社で作業をしていたわたしに声をかけてきたのは先輩の雨田さんだった。
「シフトたくさん変わってもらっちゃって」
「全然、迷惑なんかじゃないですよ」
このころ雨田さんは不妊治療に通う関係で、わたしと勤務をよく交換していた。
もともとシフト勤務の職場で、日勤帯のシフトと、午後に出勤して夜10時くらいまで勤務するシフトを社員で回していた。午後から出勤するシフトだと、午前中に病院などに行くことができる。わたしもその勤務体系のおかげで婦人科検診や整体に通えていて、いまの職場の気に入っている点だった。
わたしはひとり暮らしで育児や介護を担っているわけでもなく、シフトの変更で大きく影響を受けることもないから、雨田さんのお願いは全然迷惑じゃなかった。不妊治療をしていることも、おそらくプライベートなことであるのに、雨田さんは事情を話してくれていたし、勤務時間がずれるだけで仕事量が増えるわけでもなく、だからほんとうに迷惑じゃなかった。それを伝えたくて「ほんとうに迷惑じゃないですよ」と言ったが、それでも雨田さんはどこか申し訳なさそうだった。
雨田さんとは、新人のころ最初の3カ月名古屋で一緒に仕事をして、その後静岡でもまた一緒に仕事をすることになった。新人のときは唯一の女性の先輩で、わたしの心の支えだった。いま思い出すと恥ずかしいけど、雨田さんがいなくなるときには泣きだしてしまうくらいさびしかったから、雨田さんとまた一緒に仕事ができるのはうれしかったし、つぎは新人としてじゃなくて、ある程度仕事ができるようになったわたしとして雨田さんと一緒に仕事をできるのはもっとうれしかった。今度は教えてもらうばかりじゃなくて、わたしが雨田さんの助けになれるかもしれない。口にはださないけれど、恩返しの意味も自分のなかにはあった。
その後雨田さんは妊娠して、産休に入った。雨田さんは社内結婚で、夫のSさんは雨田さんと同期だった。雨田さんが産休に入るタイミングで、Sさんが静岡に異動してきて、さらに社内のサポート予算を活用して雨田さんの産休・育休の期間はほかの支所から応援の人が月のうち3週間かわるがわる来てくれていたから、結果的に人員は減るどころかほぼプラス1に近かった。サポート体制は、かなりうまくいっていた。現場に不満はなく、雨田さんも申し訳なさみたいなものを感じなくて済んだのではないかと思う。サポート体制の構築は、現場に残る人のためだけでなく、休みを取る側の心理的負担を減らすためにも重要だ。
でも、隣の部署はちがった。産休に入った人と育休を取る人で一気に人員がマイナス2になった。ただでさえ忙しい部署で普段から疲弊しているのに、応援は基本的にもらえないようだった(サポート予算はいずこへ?)。そもそも全国的に人手が足りていないとか、職種的に普段からの地域とのつながりが重要でよそからの応援をもらいにくいとか、いろいろ事情はあるのかもしれないが、いなくなったふたり分の仕事は残った人にそのまま降りかかった。
その部署の後輩と仕事をする機会があって、そのときに後輩が「もうきついです……」と漏らしたところから「大丈夫? 大変だよね、話聞くよ」と言うと、そこから最近の職場への不満がどんどんどんどん出てくる。それは何十分も途切れなくて、わたしもその立場だったらそう感じるだろうなと思ったから、ただひたすら聞いた。縦割り文化が根強い会社で担当する仕事も全然違うし、それぞれに専門性が求められるから、わたしはその部署を仕事で支えることはできず、愚痴を聞くことだけが唯一できることだった。
後輩の話を聞きながら、こうやって会社を休む側と休めない側で分断していってしまうのかもしれない、そしてそれは未来の自分の姿かもしれない、と漠然とした危機感に立ち尽くした。悪いのは、人が減ったのに仕事を減らしたり応援を呼んだりしてくれない上司、またはそれをできなくさせている会社のシステムや属人的な体制だ。でもそのせいで、不満は積もり続ける。
わたしは出産や育児をする予定はなくて、だからたぶん産休や・育休を「とらない」側にこれからもずっといる(病気などで長期休暇を取る可能性はあるかもしれないが)。育児のほんとうの大変さを知ることも、育児をしながら仕事をする人の苦悩を当事者として理解する日は、たぶんこない。
だからだろうか、ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』の1話をみたとき、わたしは最初どこか他人ごとだった。
専業主婦を選んだ主人公の村上詩穂と、そんな彼女を「時代に乗り遅れた絶滅危惧種」とみなす、産休・育休を経て職場復帰し時短で働く長野礼子。かつては営業部でトップの成績を残していた、いわゆるバリキャリの礼子は、専業主婦を選んだ詩穂の生き方を最初は理解できない。
礼子の発する陰口を詩穂は偶然耳にしてしまい、マンションの隣同士になってもふたりの関係はぎくしゃくしたまま、気まずい雰囲気が漂う。立場の違う子持ちふたりの対立は、会社のサポート体制の不備ばかりに意識がいっていたわたしには、縁のないことにみえていた。
わたしの母は、わたしが幼稚園に通い始めたときにはすでにパートで働いていて、その後もずっと働き続けているから、母が専業主婦だった時代をわたしは知らない。わたしにとって母はずっと「家の外で働く人」だった。一緒に住んでいた祖母も自営業で働いていたから、身近にいた専業主婦は、実家の2階に住んでいた伯母(母の姉)だけだった。
いまもそうだ。子どもがいなくて、会社での時間が生活のほとんどになってしまっているわたしと、専業主婦の人の生活範囲はほとんど重ならない。でも重ならないからって、出会わないからって、いないわけじゃない。その生活は同じこの社会に、たしかにある。会社の外にこそ生活や人生の中心があることを、仕事に追われていると、つい忘れそうになってしまう。
ママ友がほとんどできず、一日中子どもの相手をしていて「誰かと話したい」という詩穂の切実な願いがドラマで描かれる。夫の虎朗が帰ってきてやっと話せると思ったら、彼は仕事に疲れていてそれどころではない。子どもはかわいいけれど、詩穂の話したい欲を満たしてくれる相手にはならない。詩穂は孤独感から、世界からとり残されたような感覚に覆われていく。
そんななか詩穂が礼子を助けたところから、対立していたふたりはやがて支え合う関係になっていく。悩みを共有しあったり、愚痴を言い合ったり、困ったときに頼ったり。当たり前だが、子どもがいる家族同士でも事情は家庭ごとにまったく違う。お互いの境遇や生活環境が違うことを前提としながら、それでも歩み寄っていくふたりの交流に、たとえ属性や立場が違ってもわかりあえるかもしれないという光を感じる。
ドラマではこのふたりの関係以外にも、「わかりあえなさ」や立場を超えた連帯を描いていく。
ある日、礼子の子どもがおたふくにかかってしまい、会社の「肩代わり制度」を使って休むことになる。肩代わり制度は、育児や介護などで休んだ人の業務を代わりに負担した人に対して手当てを支給する制度で、ドラマだけの話でなく実際に運用している会社もある。休むほうも、代わりに仕事を請け負うほうもお互いにウィン―ウィンでいられることを目指す制度だ。この制度を使って、休んだ礼子の仕事を後輩の今井が請け負った(「肩代わり」という、休む側にどこかうしろめたさを感じさせる名称についてはドラマ内で問題提起される)。
一週間後、子どもが元気になって礼子はやっと仕事復帰できると思ったのに、入れ違いでもうひとりの子どもが熱を出してしまう。頼りの夫は、出張で仕事をし続けるなどまるで他人ごとだ。
結局今井が再度、礼子の仕事を請け負うことになる。最初は肩代わり制度のおかげもあり、喜んで請け負っていた後輩の今井だったが、その週はもともと有給を取る予定だったため不満が爆発してしまう。「復帰するのまだ早かったんじゃないですか?」と思わず礼子に言い放ってしまった今井と、「今井くんは知らない。子どもの体調に振り回される経験がないから」と今井をうらむ礼子。育児をしたことがない人と、毎日向き合っている人。ぶつかるべきはこのふたりではないのに。社員が休むことを想定せず、多くの仕事を与え続ける会社のほうなのに。
その後、詩穂が礼子の子どもを預かることになり、礼子は予定通り出社し今井も休暇を取ることになる(これで会社の仕事は通常通り回るが、詩穂が「肩代わり」をすることで詩穂の本来の業務である自分の家の家事が回らなくなる。家の外の「社会」が通常通り回っていく裏で、結局詩穂にしわ寄せがいくことを可視化する描き方も見事だった)。
無事に礼子の子どもが元気になった後、会社で泣いていた今井に礼子が話しかけるシーン。実は今井の有給の取得理由は旅行ではなく、愛犬の病気のために病院に連れていくからだったことを打ち明ける。
「有給はゲーム旅行のためじゃなかったんだね。言ってくれればよかったのに」
「言えないっすよ長野さんには/長野さん、超頑張ってるじゃないですか。お子さんが病気になっても弱音も愚痴も吐かずに仕事してるじゃないですか。そんなふうに頑張ってる人の前で自分だけつらいとか言えないっす」
会社では育児の悩みや愚痴を言っていなかったことに、礼子は今井の言葉で気がつく。言わなければ、見えなければ、しんどかったこともつらかったことも「なかったこと」になる。外からは見えないから。誰かが目撃しなければなかったことになってしまっていたかもしれない今井の悲しみを、礼子はそこで確かに目にする。
今井の思いを受け止めた礼子は、有給の取得要件に「ペット」も入れてもらうよう会社に直訴してみようと提案する。一度は、立場が違う相手になんてわかってもらえないとあきらめていたふたりの思いが、ここで交差する。
立場が違う人同士が憎み合うのだとしたら、それはシステムのせいだ。誰かを置き去りにする社会構造のせいでわたしたちは簡単にすれ違ったり、対立したりしてしまう。しかし、ふたりは話すことでお互いの事情を理解する。そして尊重し合ったうえで、会社のシステムを変えていこうとする姿に、なんだか泣きそうになった。
わたしは、立場的には今井に近い。会社での仕事に加え、育児というものすごく重大で大きな責任を伴うことを毎日している先輩たちに対して、尊敬しかない。だからこそ、弱音を吐きにくい。わたしの悩みなんて、ちっぽけに思える。緊急時の呼び出しの優先順位がいつも上、リモートワークの番がまったく回ってこない、毎週の土曜勤務をやること。飲み込むしかなかった不満が「なかったこと」になっていく。その不満が、一番近くで働く先輩たちに向いてしまいそうになるときがある。
でも、休めないのは社員同士のせいじゃなくて、業務量を多く与え続けてくる会社、業務量に対して人員を増やさない体制のせいだ。つらかったことを「なかったこと」にしなかった礼子と今井の会話は、わたしが目を向けるべき方向を間違えないよう、指し示してくれるようだった。
6話では、社会の求める「ロールモデル」と本人の意思のずれが描かれていく。詩穂はパパ友の中谷に、彼の職場である厚労省に連れていかれ、専業主婦が復職するための支援について当事者としてアンケートを聞かれる。
「復職はいつ頃したいなとか考えてます?」
「村上さんにとって復職を妨げる要因は何ですか?」
詩穂は自ら専業主婦を選び、美容師に戻りたいとは考えていないにもかかわらず、周りは「復職したいに決まっている」という価値観を押し付けてくる。結婚・出産しても、辞めなくていい環境を整えるのが、いまの社会の「当たり前」だから。詩穂は望んでいない復職という選択肢を当たり前のものとして押し付けられ、「視野を広くした方がいい」「専業主婦だけが選択肢じゃない」と好き勝手言われ、戸惑う。
結婚しても、出産しても、仕事をあきらめなくていい社会が絶対にいい。
わたしはずっと、なんの疑問もなくそう考えてきた。母が昔「働きたい」という希望があったにもかかわらず、あきらめざるをえなかったから。その苦労をずっとそばで見てきたから。それ以外の選択肢を考えることはほとんどなかったし、いままで書いてきた文章でもそういうことを言ってきた。
ドラマを見ながら、わたしも詩穂に価値観を押し付ける側だと、対岸にあると思っていたことが現実として足元に近づいてきたように感じた。
社会の抑圧による選択じゃなくて、自ら専業主婦を選ぶ人だっている。詩穂のように。彼女は美容師をやめざるをえなかったのではなく、自ら選んだのだ。「家族のための家事を私の仕事にする」と決め、専業主婦としてのプライドをもって毎日を生きている。自分の家で行う家事に賃金は発生しないが、間違いなく「仕事」だ。家の外で対価を受け取って行う仕事だけが仕事じゃない。
そもそも日本社会は長年、いやいまも、そういった無償のケア労働のおかげで成り立ってきた。歳が離れた会社の上司たちは特に、ほとんどがそうだ。家事やケアを請け負ってくれる家族がいたから、深夜にわたる長時間残業も、度重なる転勤も受け入れてきた。
もちろんわたしの母のように、社会の「当たり前」によってケア労働を押し付けられた人も少なくなかっただろうし、それはそれで解決すべき問題だが、一方で自ら選択する人が存在することも忘れてはならない。
エリート主義的なものに飲み込まれたくないのに、ふいに、足元をすくわれそうになる。外で働きたいという思いをずっと抱えてきた母を見てきたからか、わたし自身学校を卒業したら会社に就職して働く以外の選択肢を考えていなかったからか、そういうことがすっぽりと抜け落ちていた気がする。
ふだんの生活で、自分とは重ならない人の人生や生活について、思いを馳せて連帯したい。生きている限り、この社会のこと、いや地球上のすべてのことが自分に関係があるはずなのに、たしかな「実感」として自分に近づけることを忘れてしまいそうになる。
存在しているのにいないことにされてしまう「周縁化」を、わたしはAro/Aceという自分のセクシュアリティからも経験してきたはずなのに、自分が別の属性でマジョリティの立場になった途端、ほかの人にしてしまう。社会のなかで生きている以上、自分のなかにある無意識の特権も意識し続けなければならない。すべてのことは対岸ではなく、こちら側に存在している。
ドラマではもうひとり、社会の求めるロールモデルと本人の働き方のずれに直面する人がいる。礼子の営業部時代の元上司・江崎部長だ。
礼子は会社で、キャリアプラン研修の講演のアテンドを任される。この時代の働き方やキャリアについてロールモデル的な人に語ってもらう研修で、礼子は若いころから憧れてきた江崎部長に頼もうとする。
「偏ってると思うんです。ロールモデルっていいつつ、今までの研修で講演してるのは男性社員ばっかで。あれじゃあ若い女性社員にとってはキャリアのイメージがわきません。同じ女性なら身近な目標になれる/若い女性のロールモデルとして講演してほしいんです」
最初は引き受けようとしなかった江崎部長も、礼子の説得のおかげで引き受けることにする。
しかしその話は、会社の意向でなくなってしまう。江崎部長は、「結婚・出産しても働き続けられる環境」を目指す会社にとって、ロールモデルには適さないから。江崎部長はプライベートもなく仕事に人生をささげて、やっと女性初の管理職になった。男性社員の何倍も働いてやっとつかみ取った席だ。でも会社はもう、そういう存在を求めていなかった。
「彼女子育てしたことないでしょ/うちもライフワークバランスを掲げている手前江崎さんだとちょっとねえ。彼女ワークはあるけどライフはないでしょ」
江崎部長を拒否する上司の言葉が、無情に響く。彼女にそういう働き方をさせたのは、「女性が出世するならすべてをあきらめて働くしかない」という会社の価値観だったはずなのに、社会で求められるロールモデル像が変わった途端、時代遅れだと切り捨てる。
このドラマを見ていて感じたのは、資本主義中心の家父長制社会は身勝手だということだ。高度経済成長期は、女性に家庭での無償のケア労働によって「外で働く人」を支えることを求め、経済が停滞してきたら今度は共働き家族を推進する。共働きが主流になってきたら、結婚などプライベートにおける選択肢をあきらめて出世した人や、専業主婦を選んだ人に「時代遅れ」だと烙印を押す。そして、家庭でのケアを担いながら働き続ける人を、理想的なロールモデルとして担ぎ上げる。
出産・育児を経て復職していた礼子は理想の「ロールモデル」とみなされ講演することになるが、本人は自分のことをロールモデルだとは思えない。育児をしながら働く毎日をこなすのに必死だし、仕事であきらめてきたこともたくさんあった。彼女のなりたかったロールモデルは、江崎部長のような人だった。
「今のわたしがあるのは、先輩がいてくれたから。結局わたしは先輩みたいにはなれなかった。だけど思うんです。おこがましい言い方かもしれないけど、先輩はもうひとりのわたしだって。キャリアを中断せず階段をどんどん上っていく、そういうありえたかもしれないもうひとりの自分。だからまぶしかったし羨ましかった/でもわたしは誰かのロールモデルになりたいとは思ってない。わたしは自分の選んだ道を進んでいるだけ」
1年半ほどの産休・育休を経て、雨田さんが先月から時短勤務で職場に復帰した。また一緒に仕事ができるのがうれしい。そう思いつつ、夫のSさんは雨田さんと同期で担当業務も同じで、だからどっちが時短で働いたっていいはずなのに、やっぱり時短で働くのはいつも妻側だ。わたしはいまの会社で、時短で働く男性をみたことがない。どうして女性側ばかりなのだろう。そういう疑問を就職してからずっともっていて、そのことを独身の友人とは話したりするけれど、当事者がいる職場では口に出せない。
子どもがいない人にはわからない、と言われてしまうのがこわいのかもしれないし、やっぱりわたしの疑問はどこまでも「正論」でしかない気がする。ふたりで話し合って同意して決めたであろうことに、部外者のわたしが口を出すことではない。社会に根付くジェンダーロールに抵抗したいし反対したいけど、目の前で個々の事情を抱えながら生きている人にそれをぶつけるのは違う。それこそ、ドラマで詩穂に正論を何度も押し付けるパパ友の中谷みたいになりかねない。ああはなりたくないと思う自分と、でも、こういうふうに考えているわたしは中谷に近いのではないか? わたしの考えはどこまでも、机上の空論でしかないのではないか? と自問する。
子どもを産まない人生にこの先も後悔はしないだろうし、その自信はあるのだけど、それゆえに当事者性をもてない問題について発言権がないのではないかと足踏みをしてしまう。
そういう疑問を、ひとりで抱え続けるのはくるしい。だから同じような立場の同僚や友人とだけ、そのことを話す。そうやって言える人と言えない人を選り分けていること自体が、そのせいでうまれてしまう距離感みたいなものに、もやもやとしてしまう。ほんとうは、そうしたくないのに。
そうやって、わたし自身が壁を作って、違う立場の人を遠ざけているのではないか。傷つけたくない。争いたいわけでも、誰かを責めたいわけでもない。システムが悪い、社会構造が悪い。でも、構造やシステムは簡単には変わってくれなくて、変わらない間も息苦しさやもどかしさがみんなの間に、静かに、けれど確実に降り積もっていく。
ドラマでは、様々な立場の人たちを多面的に描く。彼らは、個人の努力や思いだけでは簡単には揺らいでくれない、いま現在社会で主流とされている価値観に翻弄される。毎回発生する問題に、解決策は示されない。いや、きっとそんなものはないのだ。大きくてぶあつい「社会」の前で、一瞬で問題を解決できるような、そんな即効薬は存在しないのだから。
だから選挙に行くし、おかしいことに対して声をあげるし、署名活動をしたりする。そういう地道な努力を重ねながらも、いまこの瞬間に救われたいときもある。すぐには変わってくれない社会に対峙し続けるために、わたしたちにいますぐにでもできるのが「連帯」なのかもしれない。
江崎部長はキャリアの道を選び、礼子は育児をしながら働き続けることを選んだ。そして、詩穂は専業主婦の道を自ら選び取った。立場の違う人同士が、お互いがこんなにも違うということを自覚しながら、それでも手をつなぎ続けること、そのうえで支え合うこと。ときに「がんばらなくていい」「逃げてもいい」と相手を受け止めること。たとえ、その瞬間だけの慰めだとしても。
納得できないことを、いまは飲み込むしかないのであれば、ただ黙って飲み込むんじゃなくてだれかと共有したうえで、おかしいことをおかしいよねと言い合ったうえで飲み込みたい。それは立場が違っても、できるはずだ。そうやって手をつなぎながら一生懸命生きているうちに、気がついたら社会構造が大きく変わっているかもしれない。そうなってほしい。そういう願いをこの先も継続させるために、考え方の時間軸をいまこの瞬間と未来の間を自由にスライドさせながら、いつか訪れるかもしれないあかるい未来に向けて、いまこの瞬間連帯し続けることが、きっと必要なのだ。
会社で雨田さんが、もう少しで1歳になる子どもの写真を見せてくれた。出産祝いに銀ちゃんがくれたおもちゃ、やっと遊べる時期になったんだ、と報告される。
そういえばお子さんがうまれたとき、タオルとかおむつとかはほかの人があげるだろうと思って、木のつみきをあげたんだった。正直何をあげたらいいのかわからず眺めていた通販のページで、「知育」という文言がなんだかよさげに見えて選んだのだった(いかにも育児のことがわからない人の感性である)。あれから、あっという間に時間が経った。最近では絵本を読み聞かせるようになったらしく、それなら今度は絵本をプレゼントしてみようと思いつく。三島に「えほんやさん」という絵本の専門店があるから、そこで買いたい。
でも、最近の子はやっぱりYouTubeが好きらしい。子どもが不機嫌なとき、好きな動画のサムネを見せると、しゅーっと大人しくなるのだそうだ。雨田さんは、YouTubeに頼ってばっかりもよくないんだけど、やっぱりありがたい存在だよーと言った。そうやって話を聞いていると、自分が経験しないことを、選ばなかった人生の選択肢のことをほんの少しだけ、ほんとうに上澄みだけだろうけど、のぞいている気分になる。
毎朝自転車で、保育園の横を通りすぎる。子どもたちが園の外で元気に遊んでいて、その声が風と一緒にこっちまで届く。のんびりとした地域の光景に、心が穏やかになっていく。
でもこの風景は、ドラマのように、朝早く子どもを起こしてから服を着せてご飯を食べさせて保育園まで連れてくる、嵐のような時間を経ているのだろう。10時すぎに出勤すればいいわたしは、その苦労を知らない。想像することしかできない。自分の面倒だけを見ればいいわたしは、保育園から響く子どもたちの声を通勤風景のひとつとして、ただほほえましく聞くだけだ。
それでも職場に行ったら、きっと嵐のような時間を経たであろう雨田さんがいて、わたしは会社以外の雨田さんの時間を思う。
雨田さんは復職した次の日に子どもが風邪をひいて、雨田さんにもその風邪がうつってしまい、その後一週間休むことになった。子どもの風邪で苦労する礼子の姿をドラマで見たばかりだったので、ふたりの体調を心配しつつも、なんだかタイムリーだなと思った。一週間後、雨田さんは「体調はよくなったけど鼻水が止まらないんだ~」と大きなティッシュ箱を脇に抱えながら仕事に復帰した。
名古屋で初めて出会った日から、人生の段階が変わった雨田さんは、職場で話すときは前と変わらない、クールでやさしくて、仕事ができる昔のままの雨田さんだけど、Sさんと夫婦で会社の外に大事なひとりの命の責任を抱えていて、家ではきっと忙しい時間を送っている。
会社で雑談するときも、たまにお子さんの存在が顔をのぞかせることがあって、わたしはそれがうれしい。子どもの成長は早い。人から聞く話からもそれを感じる。育てている当事者は、もっと早く感じるだろう。
お母さんの面もたまに感じつつ、雨田さんはやっぱり雨田さんで、昔のようにどうでもいい話をまたできるのが、わたしはやっぱりうれしい。というか、新人のころと同じで雨田さんが職場にいてくれるだけで、もう百点満点のうれしさなのだ。そこにいてくれるというそれだけのことに、その瞬間救われる。「あの人がいるから」という事実は、こんなにもわたしを救ってくれて、職場に行くきっかけにさえなる。礼子にとっての江崎部長のように。ある時代自分にとってロールモデルだった人は、いまは違う立場になったとしても、ずっと支えなのだ。
自分の選んだものだけを皿にのっけていくビュッフェのように、わたしたちが人生で選べる選択肢は決して多くない。皿にのせすぎたらすぐにおなかいっぱいになってしまう。食べられなかった料理が雑然と残る。だから、自分のキャパシティにおさまるものだけを慎重にのせていく。
もしその皿自体を大きくできたら? 悩みが減るかもしれない。ひとつでも多くの料理が食べられたらうれしい。皿はひとりの人生の選択肢の総体にも見えるし、社会の様相でもあるかもしれない。いろいろな料理がばらばらに、一枚の皿にのっていて雑多な見た目だけど、とても居心地がいい。そういう社会がいい。
雨田さんと「GWどこに行ったか」という話をしていて、雨田さんが夫のSさんの実家に3泊した話を聞いたわたしは思わず「なんかめっちゃ疲れそうですね……」と返した。義両親の実家、なんて疲れそうな響き……。
でも雨田さんは「そう思うでしょ? 私も行く前はそう思ってたんだけど、行ってみたらあっちのご両親がご飯とか洗濯とか全部やってくれるし、むしろ家にいるときより休めたよ」と言った。雨田さんはちょっと毒舌で、嫌なことははっきりと嫌と言うタイプなので、ほんとうにそうだったのだろう。そして、子どもが生まれてからとてつもなく増えたのであろう、家でこなさなければならない家事のことも思った。雨田さんは「そういえば」とこっちを見る。
「最近ずっと土曜勤務やってくれてるでしょ? 予定入れたいときとか、Sが代わりに出るから言ってね。家は、どっちかがいれば大丈夫だから」
今夏に転勤で静岡を離れるかもしれないわたしは、県内に行きたいところがまだまだたくさんあって、だからその言葉がうれしかった。自分で言い出すより、誰かに言ってもらったとき、一際うれしいし安心する。「じゃあお言葉に甘えて……」と勤務表を見せながらさっそく相談した。
その後作業をしていたら、うしろから「筋肉! 筋肉!」というはきはきした声が何度も聞こえてくる。振り返ると、筋肉の専門家のインタビュー企画の試写を行っているようだった。偉い人たちが真剣に、専門家が筋肉について語る映像を見つめていた。シュールだ。映像の最後に、腕を見せながら「筋肉!」と一際大きい声でインタビューをしめていて、思わず吹き出しそうになる。抑えきれなくて、だれかと共有したくて、ひとつ席を空けた先で作業をしていた雨田さんのほうを見たらその瞬間ばっちり目が合って、ふたりで笑いだした。
銀の森(ぎんのもり)
1995年生まれ、静岡県在住の会社員。自主制作ZINE『28歳、抵抗の自由研究』を発行。
*こちらの連載は「web灯台より」にて読むことも可能です。
*投げ銭していただけると執筆者と編集人に「あそぶかね」が入ります٩( ᐛ )و