ヘイトスピーチや差別をなくしたい。という思いは多くのひとが持っていることではある。そしてそのために日々、SNSや路上で多くのひとがたたかっている。しかしそれはあくまでも「市民」という、あえて言ってしまえば「無力(とまでは言えなくても非力)」な存在による、ジリ貧の抵抗にしか過ぎない、というのが現状なのだろう。故にヘイトと差別はなくならない。つまり、より大きくて「強力」な何かが必要なのだ。それは言いかたを変えれば「規制」であり、すなわち「法整備」である。「個」による抵抗と「法」による規制。この2点が両輪となって回り続ける環境を整えなくてはならない。
書評:ホン・ソンス『ヘイトをとめるレッスン』(ころから)
書評:ホン・ソンス『ヘイトをとめるレッスン』(ころから)
書評:ホン・ソンス『ヘイトをとめるレッスン』(ころから)
ヘイトスピーチや差別をなくしたい。という思いは多くのひとが持っていることではある。そしてそのために日々、SNSや路上で多くのひとがたたかっている。しかしそれはあくまでも「市民」という、あえて言ってしまえば「無力(とまでは言えなくても非力)」な存在による、ジリ貧の抵抗にしか過ぎない、というのが現状なのだろう。故にヘイトと差別はなくならない。つまり、より大きくて「強力」な何かが必要なのだ。それは言いかたを変えれば「規制」であり、すなわち「法整備」である。「個」による抵抗と「法」による規制。この2点が両輪となって回り続ける環境を整えなくてはならない。