書評:ホン・ソンス『ヘイトをとめるレッスン』(ころから)
ヘイトスピーチや差別をなくしたい。という思いは多くのひとが持っていることではある。そしてそのために日々、SNSや路上で多くのひとがたたかっている。しかしそれはあくまでも「市民」という、あえて言ってしまえば「無力(とまでは言えなくても非力)」な存在による、ジリ貧の抵抗にしか過ぎない、というのが現状なのだろう。故にヘイトと差別はなくならない。つまり、より大きくて「強力」な何かが必要なのだ。それは言いかたを変えれば「規制」であり、すなわち「法整備」である。「個」による抵抗と「法」による規制。この2点が両輪となって回り続ける環境を整えなくてはならない。
本書はその「法整備をどうするか」に焦点を絞ったものだ。法は強力であるが故に、その制定と運用には細心の注意が必要になる。ことヘイトと差別においては、悪用が可能な法を制定してしまった場合、完全な逆効果=ヘイト/差別の助長を生み出すことになる。なんらかの処罰が伴う(いわゆる)ヘイト禁止法の制定と運用が遅々として進まないのにはこういった原因もある。もちろん個々人(とその個々人から成る社会)の意識の薄さが何よりも大きな原因ではあるが、法整備が簡単にできないことがその意識の発生を困難なものにしている一面もあるとは思う。私たちの中には「人を殺しちゃダメ」という意識は、もはや意識せずとも意識できるほどに刷り込まれているが、それはやはり「殺人罪」というものが社会に「当たり前のように」存在しているからだろう。意識しなくてもやらないでいられる殺人と、意識しないとやってしまうヘイト/差別。どちらも「殺人」であることはあらためて強調しておくが。
ということで本書は韓国の事例を中心に、欧米や日本の「ヘイト/差別関連法」を紹介、その中身を検討している。慎重にならざるを得ない以上、できるかぎり多くの事例を知り、その是非を検討し、その制度が自分たちの社会で有効なのかどうかを考える必要があるだろう。ヘイト/差別とは何か、あるいは何がヘイト/差別に該当し何が該当しないのか。それも各国によって異なったりする。その違いを知り、その構造を理解することで、私たちは「ヘイト/差別の本質」を少しずつ掴んでいくことができる。その先に、悪用されない法の整備、強力であるが故に危険な存在である「法」の的確な運用が実現される。
その道のりは途方もないもので、やはり遅々として進まないものではあるだろうが、日々「ヘイト/差別とは何か」を考え続けることをやめた途端に、ディストピアはいとも簡単に到来する(すでに到来しているとも言えるが)。完全完璧で、未来永劫変更不要な法律は制定できないだろう。「これが完璧だ」と思った瞬間から崩壊はスタートする。ユートピアにはいつまでもたどり着けないが、たどり着こうと探し続ける者にのみ、ユートピアは現前するのだ。本書はその困難な(かつあまり対価を感じられない)道を歩む者にとっての地ならしをするトンボであり、自分がいまいる場所を知るための地図である。
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刊行は5/20あたりを予定しています。