オーウェル『1984』を読むと日本のヤバさがわかる
というまとめサイト的なタイトルをつけるのは癪なんですが、こう書かないと読んでもらえない気もするので、渋々採用しておりますが、でも内容をまとめたらこのタイトルになるから間違ってはいない、という。ファックくそ政権。なんもついてないパンがうめえ。
オーウェルの『1984』はビッグ・ブラザーという象徴やテレスクリーンによる「監視社会」というキーワードが先行していて、どうもSF的な扱いをされている気がしているのですが、本質的なところはそこじゃないし、少なくとも「いまの社会」に引きつけて読むならポイントはそこではない。問題は「権力維持の方法論」であって、その方法論と結果がバッチリ現代ニッポンとシンクロしちゃってるってところなので。でもここが結構わかりにくいし、そもそもそのあたりが描かれているところまで読むのにパワーがいるし、くわえて「SF」的な扱いをされているせいでそもそも「読む気が起きない」みたいなことにもなっていたりするんだと思う。それに、読んでる間ずっと脳内風景は灰色だし、シンプルに読むのが辛い。あ、これ書くの2回目だ。とにかく体力がいるんです、この本。
ということでちょっくら解説記事を。
世界設定(大雑把に)
時は1984年。1950年代に大きな核戦争があって世界は荒廃。主人公ウィンストンが住むのはかつてのロンドンで、現在はエアストリップワンと呼ばれている。核戦争後に色々あって世界は大きく3分割、ウィンストンのいるオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3国しかない。そのほか「係争地域」的なところがいくつかあって、そこを巡ってこの3国は常に戦争(と同盟、さらに同盟破棄からの戦争)を続けている。後述しますが、この「常に戦争/同盟締結状態」というのがポイントのひとつ。
オセアニアはB・B党の1党独裁、B・Bとはビッグ・ブラザーのことであり、党が誕生したときから、というか過去から未来まで永遠に存在している。これもポイント。
国家は完全に階級制で、上から「党中枢」「党外郭」「プロール」となっている。ビッグ・ブラザーはもちろんランク外。そして国民は皆、党員にならねばならない。党中枢はいわゆるエリート階級で、全体の数%。政治家や上級官僚みたいなものか。党外郭はいわゆる庶民というか、立場的には中層階級なのだが、一般的な感覚から言うと低所得者層のような生活をしている。ウィンストンもここに属している。最下層はプロールで、人口全体の85%を占めている。が、彼らは国民とはみなされていないし、党からは人間であるとすら認識されていない。よって党員ではない。ここは後述。
オセアニアではイングソックという新たな言語が英語に代わって採用されつつあり、2050年までに完全に入れ替わる予定。そしてイングソックによって可能になる言語法がニュースピークであり、ニュースピークを活用することで党の求める「規範的振る舞い」のひとつである「二重思考」を体現できる。この「二重思考」によって党の独裁は保たれていて、これをマスターできない人間、あるいは反体制的な兆候をみせた人間は「思考警察」によって逮捕され、最終的には「非存在人間」とされる。テレスクリーンはその補助をする機械みたいなもの。
オセアニアでは「過去は変更可能なもの」として扱われる。例えばいままで「ユーラシアと交戦状態にあった」として、それを前提に人々の生活も政府の政策もそれに伴う各種書類や報告もなされていたが、突如として「交戦中なのはイースタシアである(ユーラシアとは同盟関係)」となることがある。その瞬間、オセアニアの国民は「二重思考」を用いて自らの記憶を改変し、また、各種記録の改ざんを行なうことによって、その歴史=過去を「事実」とする。彼らはこれを日々、毎秒のように行なっている。
しかしこの「党による監視」を免れている存在がいる。それがプロールだ。彼らには知性がないから、国家転覆を目論む可能性もないと思われている。大雑把に言えばそういうことらしい。
というのが簡単な舞台設定の説明なのだけど、ここはようわからんでも大丈夫です。なんとなくその仕組みというか雰囲気が掴めていればokですね。本題は次。党はどのようにしてその権力を維持しているのか。その仕組みです。ここが恐ろしい。監視社会がどうとか、みたいなのは正直どうでもよくなる。
権力維持の根本は「貧困」と「憎悪」にある
なんとなくでも作中世界の概念が理解できれば(wikiを読んでもよい)、あとはもう本筋よりも作中に登場する架空の本『寡頭制集産主義の理論と実践』(著:エマニュエル・ゴールドスタイン)をウィンストンが読んでいる部分だけを読めばいいと思う。というくらい、ここにエッセンスがぶちこまれている。ちなみにゴールドスタインとはビッグ・ブラザーに敵対する勢力のトップで、いわゆる秘密組織をもって党の転覆を謀っている、とされている存在である。実はこれもポイントのひとつ。後述。
その「本」にあるポイントは
・党の権力維持には国民の愛国心が必須で、その愛国心は貧困と憎悪によって生成&維持される
・その貧困と憎悪は戦争と「外部との比較手段を持たないこと」によって生成&維持される
の2つが大きなものかと。
少しずつ解説というか説明というかそういう感じのものをします。
先述したように、『1984』の世界は「常に戦争状態」にあります。相手国はころころ変わり、それはつまりどこが相手でもいいからなのですが、その理由は「戦争の目的が以前とは変わってしまった」ことにあります。本来、戦争とは「相手の領土を奪う」「市場獲得」のような目的が主なものでしたが、『1984』の世界ではその目的は意味を失っており、新たな目的にその座を譲っています。それが「国民の貧困化」です。ゆえに作中でも「戦争とは自国民に対して仕掛けるようなものである」みたいな記述があります(見つけられなかった……)。*なぜ他国からの侵略に怯える必要がないのか、について気になるひとは実際に読んで確かめてください。かなり論理的に書かれているので納得できます。
じゃあなんで国民を貧しくしておくことが権力維持のためになるのか、あるいは愛国心の高揚に繋がるのかってことですよね。まずはシンプルに、「経済の貧困はそのまま知識の貧困に繋がるから」というのをあげておきます。仮に毎日20時間働いて手取りが月10万以下、みたいな生活をしていたとしたら、本を読んだりニュースを見たり、あるいはネットを見るなどの余裕は一切ないでしょうし、つまりそれは「社会がどういう状況にあるか」を知る手段も余裕もないってことですよね。あるいは、そういう家庭環境で育った子どもは確実に基礎的な教育を受けていませんから、たとえ何かしらの「情報」を得たとしても、それを論理的に処理して何かしらの「解」として出すといった能力を持っていないでしょう。具体的に言うなら、「政府がコロナ対策の遅れを現行憲法のせいにして国民投票法の改定を図ろうとしている」という状況を知る手段も余裕もない、あるいはそれを知ってもそれのどこが「ヤバい」ことなのかがわからない。ということです。
また、貧困つまり余裕のなさは、他者に対する寛容の精神をも損なっていきます。当たり前ですよね。自分に余裕がないときに他人に優しくするのはなかなか難しい。いまの日本に民族差別や女性差別が跋扈してる根本には、国民ひとりひとりの精神的余裕がない、というのもあると思っています。そして精神的余裕は経済的余裕から生じるものでもあるので、日本経済が下降の一途、働けど働けど正社員にもなれず給料も上がらず、といったこの状況ならそれも理解できることかと思います。そんな状態で「悪いのはあいつらだ」「あなたのその苦しさの原因は日本を貶める奴らです」といった情報を耳に吹き込まれてしまったら、それしか縋るものがない人間はそっちに行ってしまうでしょう。
さて、作中でこのような状況にある、というより追い込まれているのはプロールなのですが、彼らはゆえに人間だとみなされていません。党中枢にとってはただの「駒」で、時折プロールの住む貧民街にロケット弾を落としたり敵国捕虜の処刑を見させたりすれば、彼らの恐怖と憎悪と、そこから生じる「愛国心」の高揚はいとも簡単に作り出せてしまうのです。そういう人たち、今の日本にもたくさんいますね。ロケット弾も処刑も、各種SNSを見ていれば「それと同様のもの」がたくさん溢れていますし、それを供給する人間(アカウント)も同様にたくさんいるわけです。「餌」を与えていれば彼らは満足する=社会のことなど考えることもない。そう思われているわけです。言い方はとても悪いですが、「バカには『反日』とか言わせておけばいいし、そう言いたくなるものを定期的に投げておけば勝手に盛り上がってくれる」くらいにしか、権力側=少し脳みそのある人間は思っていない。ようするに、貧困の度合いが過ぎることで①社会のことに一切関わる余裕のない人間②余裕のなさが憎悪に変換され、それを自らと異なる属性の存在に向けることで自らの「負」を解消するようになった人間の2種類が生成され、①その強制的な無関心と②意識的な(紛い物の)愛国心によって、権力側の不正は糾弾されることなく済む、という構図が完成します。いま、日本の多くの国民がこの状況にあると思います。現政権がこの数年やってきたことを文字通り「まったく知らない」というひとが多数派なのでしょう。だからこんなにわけわからん政権がいまだに「支持」されている。「支持」の多くはおそらく「よくわからないけどそれでいいんじゃない?」みたいな支持で、絶対に自民党がいい!みたいな支持ではないと思います。でも、「反対=批判」は、その中身をある程度知っていなければできないので、必然的に「支持」が多くなってしまうのでしょう。社会は常に権力側に有利にできている。
くわえて、党外郭の人間たち=ある程度の知能がある人たちは「二重思考」によってこの党の欺瞞を「なかったこと」にしているわけです。いまの日本に当てはめるなら、自民党(平)議員たちやその支持者、特に知識人などと呼ばれる人間たちでしょうか(作中の設定とはかなりズレるけど)。彼らは党/政権がわけのわからないことをやっていることを「知って」います。知っていながら「正しいことである」と表明しているわけです。もちろん自分がわけのわからないことを言っていることも理解しているんでしょうけど、それを認めたら党の正しさを否定することになるのでそれはできない、と。で、彼らもまた憎悪に支配されてるわけですね。結局いまの自民党支持者を繋ぎ止めてるのは「反日」というワードへの忠誠みたいなものなので。日本が好きなんじゃなくて、日本を倒そうとする存在を憎むことそれすなわち日本LOVE、みたいな理屈というか順番になっているんだと思います。だから彼らは日本がどうなってもいいんです、日本の敵を憎めてさえいれば。
これ、実は『1984』でもとてもよく描写されているポイントで、先述した「戦争/同盟国がコロコロ変わる」というのがまさにこれなんです。別にどこと戦争していてもいいんです、大事なのは戦争する相手=憎むべき相手が存在しているってことなので。だから常に「我々は敵国からの侵略の危険に晒されている!」と主張するわけです。軍備を拡張せよ!自衛隊を軍隊にせよ!憲法改正!自国を守る軍を持つことの何が悪い!
あと、ビッグ・ブラザーとゴールドスタインが「本当に存在している」かどうか、という点も同様の意味合いを持っています。作中で明かされているように、どちらも実在はしていません。あくまでも象徴です。前者は「崇拝すべき」存在、後者は「憎むべき」存在としての、象徴。「国民が崇拝すべき存在」は常にいてもらわないと困るんですよ、権力側にとっては。でもそれは誰でもいいんです。大事なのは「崇拝している」という状態なので。この人の言うこと、やることは絶対だ、常に正しいのだ、永遠不朽の絶対王なのだ。と、国民に盲信させるための存在として。つまり「愛国心」の象徴=生成原因として。「国民が憎むべき存在」も、これとそのまま同じ構造で、逆の理由をつければいいだけです。こちらもまた「愛国心」の生成装置なんです。「敵を憎むこと=自らを愛する」理論ですね。むしろこっちのほうが大事で、いなくなっては困るのはこちらなんです。だからゴールドスタインは絶対に倒れないし、倒せない。いつでも潜伏していて、いつでもこちらの隙を伺っている。だから常に警戒しないといけない。そう国民には教え込まれている。在日の奴らは特権を享受している。中国企業が日本をのっとろうとしている。大阪には北朝鮮のスリーパーセルがたくさんいる。あれ?これは現実世界でなされた主張でしたっけ?
結局のところ、この「負のサイクル」を1度でも回してしまえば権力側の勝利なんですよね。国民を貧困状態にする→教育・知識・情報を得る手段と余裕を断つ→①社会で何が起きているかを理解できない国民が増える②自らの苦しさを他国への憎悪に変換して解消する国民が増える→自国の政府が何をやっても批判されない→国民を貧困状態にする(わざとそうしていることがバレない)→教育・知識・情報を得る手段と余裕がさらに断たれる→エンドレスに増強。
権力側は、何も知らない(知ったとしても何も考えられない)人間を多く作りたいんです。そうすれば、たとえ自分たちがどれほど道理の通らないことをしていても気づかれませんから。そのために、貧困を生み出す。憎悪を煽る。貧困(からなる無知)と憎悪が、権力側の嘘やごまかし、腐敗を「なかったこと」にする。これが、『1984』を読んだ人間が最も理解すべきポイントです。テレスクリーンによる相互監視社会はインターネットやSNSの到来を予期していた!とか本当にどうでもいい。それは派生物でしかない。テレスクリーンと思考警察があるから独裁が維持されているわけではない。権力によって作られた「故意の」貧困と憎悪が、独裁を維持している。そしてそれこそが、この現実社会でも「容易に真似できるやり方」であるということ。
現日本政府がこれをどこまで意図してやっているかはわかりませんが、結果としてこの循環が生じてしまっていることは確かでしょう。そのうえ、自らの「正しさ」を主張するために議事録の改竄や破棄をするといったところまで『1984』の党の振る舞いをなぞってきているわけですから、そりゃやばいでしょって話です。
ちなみにウィンストンは「希望はプロールの中にある」とずっと信じていました。最後にはそれもすべて否定され、絶望的なエンドを迎えるのですが、ハヤカワ文庫版のピンチョンの解説では「実はそうじゃないかもよ」という説が提示されています。これがけっこう面白いので、ぜひ読んでほしい(僕はこれをきっかけにして修論を書いた。もちろんいま読むと何を言ってるかわからない。笑)。
プロールとはつまり「いまはまだ何も知らない状態」にある人たちのことですよね。全体の85%。日本も同じ割合かもしれませんね。だからようは、彼らにどうやって知ってもらうか、理解してもらうか、であって、そこを考えて実践していくのが今後の課題というか、このくそファッキンシットな政権を引き摺り下ろすためには必須なんだと思います。なんで関心持たねえんだよ!と言うのは簡単だしそう言いたくなる気持ちも理解できますが(僕も1日1回は言ってる)、彼らは「持たない」のではなく「持てない」のだ、というように考える必要があるとは思います。怒りを向けるべきはクソな権力者であって、必死に「今日」を生きている庶民ではない。一緒に怒ってくれない?ていうかあなたこそ怒る権利を持ってるんだから、一緒に叫んだり石投げたりうんこ撒き散らしたりしない?って感じで。下層民どうしで怒りをぶつけ合う=憎み合うことで利益を得るのは権力者なので。
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