先日のニュースレターでもちらっと触れましたが、あらためてちゃんと書いておこうと思います。そもそもこれは「業界の話」ではなく「政治の話」であり、少なくとも現政権≒自民党にとっての「政治」とは「利権」だったり「愛国心醸成(=排外主義と戦争賛美)」だったりするわけで、そのような「政治の話」についに出版業界が巻き込まれる=利用されるフェイズに入ったかもしれない、そういう話であるということがほとんど認知されていないであろうことに危機感を覚えています。
というような「政治の話」をすると逃げていってしまう方もいますし、ふだんから政治の話をチェックできていない場合には突飛な話に思えてしまうかもしれないので、まずは書店員向けにわかりやすい喩えを提示しておきます(政治のことを気にかける余裕なんてない、そんな状況に追い込まれている方も多いことと思われます。それはやはり政治が悪い案件なので、ともに怒りを表明していきましょう)。それはこのニュースを見てから抱いていた気持ちの悪さなのですが、たぶんこういうことなんだと思います。
書店の経営悪化の要因の一つとなっている万引きの常習犯が「自分は書店を応援したいんですよね。キャッシュレス手数料高いですよね、安い業者案内しますよ。カフェ併設とかすると利益率高くなっていいんですよね、運営コンサル紹介しますよ。Amazonとか電子書籍とかいろいろありますけど、やっぱり街の本屋だし紙の本ですよね。文化、最高! あ、ほかにもこういう事例がありましてね……」とか言ってきている状態。
「お前が万引き=窃盗をやめれば経営は改善するんだが? その支援のための財源、うちから盗んで売った本で得た利益だよね? しかも紹介しようとしてる業者からもお金もらえる仕組みになってるんでしょ?」と、日々本屋で働いている方なら思うはず。今回の支援、構造的にはこれなんですよね。
支援を主導している団体とその構成員について、つまりどのような意図がそこに見えてくるかについて
上記のニュース記事に出てくる齋藤経済産業大臣は、「がんばれ本屋さん/上 「知は街にあり」 角川春樹×齋藤健・書店議連幹事長」という記事内にもあるように、自民党が主体となっている「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」に所属している議員で、この議員連盟は自民党が設立したものです。
また、齋藤経済産業大臣はこちらのツイートにもあるように、排外主義をもとにした「愛国心」を価値観の一つとして持っていることが容易に推測可能な議員です。となると「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」の考える「日本の文化」は排外主義的なものである可能性も高いでしょう。これが一つ目の観点です。
そして「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」の現会長・塩谷立ですが、こちらは最近話題になりまくっている議員ですね。裏金問題、そしてその追及に対する「納税するつもりはございません」はもはや今年の流行語大賞にならねばならない迷言でしょう(もし大賞にならないのであれば、選定委員に裏金が支払われた可能性を考えなくてはなりませんね)。裏金問題の前科あり、つまり利権関連のにおいがぷんぷんせざるを得ないということです。これが二つ目の観点。
そもそもの話として
どうも我々出版業界人は「本(屋)の魅力を高めれば/周知すればみなが本を買うようになる」と思っている節がありますが、それは大いなる勘違いです。本(屋)にはすでに魅力があるし、そのことはもうみんな知っているし、じゃあなんで本が買われないのかというと、単にそのためのお金や時間の余裕(心身の健康含む)がないからです。
みなさんは旅行に行きたいですか? 行きたい人は多いでしょう。ではこの一年で何回行きましたか? 何日間、どこに行きましたか? そこでどれだけお金を使いましたか? お金と時間と健康な心身がもっとあれば、もっと多く・長く・たくさんのお金を使う旅行を楽しんでいることでしょう。ふだんの食事もそうですよね。お金があればおやつを一つ増やしたり、おすしのグレードをあげたり、これはハズレなのではないか?と思われる謎の自販機飲料をふざけて買うこともできるでしょう。魅力がない/魅力を感じないから買わないのではなく、お金がないから買えないのです。図書館利用者数や無料で読めるマンガアプリの利用者数も増加しているわけですから、読みたいものがないわけではない。読めないんです。お金やら時間やらがないから。
ではなぜお金やら時間やら心身の健康やらが十分に持てていないのか。いろいろ理由はありますけど、少なくともその一つは「政治がそっち方面にお金を使う気がない」からですよね。社会保障に充てると言って増税したのに、実際に増額したのは軍事費です。さらに利権だらけのマイナンバーカード整備、コロナ禍や災害時における「商品券」配布、五輪や万博優先で被災地は後回し(もはや無視、厄介者扱い)、などなどあげればキリがないわけですが、そのうえ議員個人での裏金までたんまりと仕込んでいるわけですから、以上にあげたクソ無駄遣いの一部でも社会保障系の予算に充ててくれていれば、我々日本在住の民(not日本国民)はどれだけ「余暇」に使うお金が増えたことか……(同時に時間の余裕も心身の健康も改善したことでしょう)。
先ほど「万引き常習犯」と喩えたのはこういう理由からです。そもそも万引きをしなくなれば、つまりまともな政治をするようになれば、我々は本をいまよりもたくさん買って読めるようになるし、そうなれば本屋への支援なんかも不要になるわけです。つまり、我々本屋がすべきことは支援の拒絶であり、万引きやめろ=まともな政治をしろという要求をすることです。支援内容の是非、つまり支援が業界内問題点の解決に寄与するかどうかなんてものの議論はすべきことではないのです。そういった議論は万引き常習犯相手にすることではありませんから、万引き常習犯以外の人が支援をすることになったら考えましょう。
「底が抜けたコップ」に水をやる
サブタイトルにもしたこの表現は、サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学』(青土社)のなかでパレスチナの経済環境と、パレスチナを「支援」する行為に関しての文脈において出てきたものです。簡潔に説明すると、パレスチナはイスラエルやイスラエルを支援する国家によって、まともな経済活動ができない状態になっています(本書ではその状態は低開発や反開発といった言葉で表現されています)。その状態でなされる「支援」とは、結局のところ「底が抜けたコップ」に水をやることでしかなく、どうやっても水が溜まることはありません。しかし、支援をしたという実績だけはできてしまいますし、そうなると「これだけ支援したのに結果が出ないのであれば、それはパレスチナ側が無能/低能なのだろう」という理屈で見放されることになる、というわけです。
もちろんこれとまったく同じではないですし、比べてはならないものどうしであることは承知のうえで、それでもなお類似するなにかがあると感じてしまうのは私だけでしょうか? いくら政治が書店をキャッシュレスだカフェ運営だなんだで支援しようとて、つまり書店の魅力や利便性を高めたとて(それらが実際に魅力を高めるかどうかはさておき)、本を買って読む側の体力がそもそもないのだとしたら、その効果は極一部の富裕層のみにしか行き届きません。ちなみに、パレスチナの反開発状態の構築と維持には日本政府も大いに一役買っています。日本政府のもとで生きている我々もその責任の一端を担っている、追及をされるべきであるということは、あらためて言及しておこうと思います。
この「支援」を業界内の話にしてしまうこととも繋がるのですが、軽減税率を筆頭にした、「出版業界にだけ利益がある施策」を求めることもやめましょう。本屋で本を買って読んでいるのは出版業界内の者だけではなく、むしろ業界外の者のほうが数としては圧倒的に多いはずです。つまり業界外の者らの生活の余裕が失われれば、必然的に本屋の売上も下がります。本屋/出版業界だけが得をする/楽になる仕組みを要求して構築しても意味がない、それどころか長い目で見たら逆効果になるでしょう(日本の本屋に来るのは日本国民だけではないのだから、日本国民だけ豊かにしても……というのも同様の理屈です。排外主義をもとにした愛国心は経済的に見ても「損」です)。
みんなで豊かにならなければ意味がないのです。限られたパイを奪い合って、その分け前の多さを競うあり方をしていては、パイ=土壌は痩せ細っていく一方です。本に限らず文化的なもののすべてが、そして文化的なものに限らずエッセンシャルなものも、我々には等しく必要であり、それで食い扶持を稼ぐ者らの権利は等しく保障されるべきです。当然、性別やら人種やら国籍やらすべての属性に関しても、これは当てはめるべき原則です。豊か/楽になるべきは誰かを問うことはやめて、誰もが豊か/楽になれる社会のあり方を探しましょう。
政治の手が伸びているということ
軽減税率関連でもう一つ考えなくてはならないのは、それを受け入れてもらった結果どうなるか、ということです。これはそのまま本題の「支援」を受けた結果どうなるか、という話とも接続します。ようするに、政治の言うことを聞かねばならない状態になってしまう可能性がある、ということです。
軽減税率にしたんだから、支援したんだから、政治=国の言うこと聞いてよね。そうならない保証がどこにあるというのでしょうか。個々人のレベルでは反抗も可能でしょう。たとえば支援を受けておいて、なんらかの要求を政治=国からされたとしても無視をする。そういう抵抗=面従腹背は個人(あるいは独立系書店)では可能なことかもしれません。しかし多くの書店員が会社組織に属しているわけですから、社としての方針ができあがってしまったらそれに抵抗するのは非常に難しいです。ただでさえ労働状況が悪いというのに、そのうえ従いたくない方針に従わざるを得ないことになったら、そのような環境に置かれた書店員は書店員であることをやめるでしょう。そうなったらその書店は経営が厳しくなるでしょうし、結果閉店にでもなったとしたら、それこそ「これだけ支援したのに結果が出ないのであれば、それは書店側が無能/低能なのだろう」理論によって切り捨てられるだけです(そのうえ「支援してやった」という貸しは作られてしまうわけですね)。
ここでもう一度思い出したいのが、この支援を主導しているであろう「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」が求める「正しい価値観」のことです。前述のように、一言でまとめてしまえば「愛国心醸成(=排外主義と戦争賛美)」です。この議員連盟の考える「日本の文化」の中身がこれであることをよしとするのであれば、支援を受けてハッピーになれるのではないでしょうか。私はなれませんが。
二階の3500万円問題で(誰にとっても)明らかになったように、政治は出版業界と密接に繋がっています。少なくとも、政治のほうは出版業界と繋がろうとしています。換言しましょう。一方的に利用したいと思っています。日韓・日中関係が強く緊張していた2010年代前半には嫌韓・嫌中ヘイト本が多く出ましたし、ここ数年はセクシュアルマイノリティ関連へのヘイト本が多く出ていました。最近は反移民ものが増えてきている印象があります。政治と出版業界は常に連動していて、政治は世間の空気を都合がよいものにするために本(屋)を利用し、あるいはそうしてできあがった世間の空気を論拠にして政策を進めていきます。その流れ・循環の中にすでにあったわけですが、今回の「支援」はそのレベルが急上昇する可能性を秘めているということを、我々は認識すべきです。
結論
・本屋の魅力を高める云々の支援をされたところで、買う側の状況がよろしくないのだから効果は見込めない
・そもそも支援をしようといってきている側=政治の不備が苦境の根本原因であるうえ、支援そのものが新たな利権の温床となる可能性が高い
・そのうえ支援したことの見返りを求められる可能性もあり、支援する側=現政権の考える「正しい価値観」とやらは人権軽視&戦争賛美のものである
・つまり我々がすべきは「支援内容について=業界内の話をする」のではなく「支援そのものの拒絶=まともに政治が機能していれば恩着せがましい支援など不要という意思の表明」である
我々がどれだけ政治のことを避けようとも、政治のほうは我々を捕まえにやってくるし、利用しようとしてくるのです。今回の件はその典型ですし、身をもって体験できたはずの皆様方の意識と行動が変わることを願っています。とりあえず、万引き常習犯は捕まってほしいし正当に処罰を受けてほしいですよね。ちなみに万引き犯がなかなか捕まえられないのは、現行犯でないといけない場合が多いからです。政治家が悪いことしてものらりくらりとなかったことにできちゃうのと似てますね。
May 6, 2021に書かれた「オーウェル『1984』を読むと日本のヤバさがわかる」のページに、「1984と同じ国 日本」をワードにしてyahoo検索でたどり着きました。
1984はあらすじをいろいろなところで読んだだけです。それだけでも、今の日本は1984に出てくる国と同じなのではと連想できました。
検索から飛んできて前述のページを最初読んだ時、あまりにも的確な指摘がなされているので1984の中の話のように政府関係者がまだ残っている正常な人をこし取るためにブービートラップをしかけてるのかと、
現実(の政治)と小説の垣根が消えたのかと思ってドキっとしました。
良ければでいいのですが、少しお話のお時間をいただけないでしょうか?
このブログのUIの使い方に慣れていないのでこれで合ってるか分かりませんが、間違っていたらご指摘お願いします。